雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
Hatter

06.02:vicenda #2

公開日時: 2021年9月14日(火) 08:10
文字数:2,415

“変化 動揺#2”


「ねえ。すごいよ。すごく綺麗! これ、何に見える?」


機内の窓から光が溢れる地上を眺め、無言で夢をなぞり返していたジムの前に座る少年が、興奮気味に窓にかじりついたまま振り返ることもせず自分の隣へ声を掛けた。


「赤いところ、車の渋滞は毛細血管、白いところ、建物のライトアップは神経細胞の発火。空に浮かんでる宙空投影の広告は分裂増殖した挙句に互いに牽制しあって興奮状態にある彼ら」


声を掛けた背中からは、反して落ち着いた声が返ってくる。


「何、それ?」


「お前が見ているもの」


通路側に座る少年は正面を向いたまま、目深に被ったキャップの下で目を閉じ答えた。


隣の興奮した波長に乗せて送られてくる視覚情報を瞼の裏で再構成し、その映像にふふっと笑った。


『俺はこんな無秩序に増殖したりしない。ましてや、牽制しなければならない別の自我の存在など、論外だ』


そう、ヘッドホンから聴こえるランダムに選択された曲のイントロにのって、憮然と否定する声が聴こえてきそうな気がしたからだ。


このタイミングで、CNこのX(♪M#1)が始まるとか・・・。 CN X は、Vegus迷走神経 だよね。このタイトルどうなの?


心酔するギタリストは、いつもどこか何とも言えないタイトルを曲に付ける。

ある有名な音楽雑誌の編集者曰く、“厄介な楽曲と微妙なタイトル” だそうだ。


美しくも複雑で厄介な旋律で構築された曲、微妙なセンスのタイトル、シニカルだなと思う。

彼の曲についていけるボーカルの歌唱力とメンバーの卓越した演奏スキルがなければ成り立たないギリギリの曲の数々。

さぞかしひねくれた人間なんだろうな・・・大好きだけど。


曲が、verseAメロ に入り、横では、窓から広がる東京の夜景を興奮しながら弟が眺め続けている。

流れる音に反応して、本当に脳内の声が起き出し、こちらの事などおかまいなしに喋り始める前に曲を変えようとして、モバイルをポケットから取り出すと「お客様」と、声が聴こえた。


瞬時に

『Person Level:1 safety安全 CAT: キャCビンクルCー ID:6519-2008-4819 Name:R.Plant Info:・・・』


自分の意識がその対象を認識する前に “安全” の判断が脳内で下された。


おかげでエリックは身を強張らせることなく目を開き、告げられた通りのキャビンクルーを視界に確認する。


「お客様、お休みのところ失礼致します。そちらは、通信端末で聴いていらっしゃいますか?」


キャップの前を持ち上げると、ヘッドホンのことを言っているのであろう、子供の自分に視線を合わせるため屈んでいる彼女は、緩やかな金髪がかかる自身の耳を指さし柔らかな笑顔をこちらに向けていた。

あくまで自然に見えるその笑顔。彼女は、例え相手が子供であろうとも、ベテランとして持ち前のスキル “さりげなく美しいスマイル” に手を抜くことはなかった。


「ごめんなさい。でも、機内モードにしています。ほらね。」


エリックは、ヘッドホンを片耳だけ外すと、モバイルの設定画面を彼女に見せた。

その間近に寄せられた帽子の下からのぞく容姿に、彼女は迂闊にも自分が息を呑んだことを周りの誰にも悟られませんように、と祈った。


年齢からしてもまだ幼さなさが残る顔、しかしそこには完璧な均整があり、白磁の様に滑らかな肌と艶やかな黒髪、こちらを見る瞳は黒曜石のようで、吸い込まれそうな美しさだと思った。

ああ。確かに。神様はさぞ愛されていらっしゃるだろう。


数時間前、乗務員室で「ねぇ! 神様が遣わした天使がいるのよ! あんな綺麗な子供、見たことない! 嘘だと思うなら、ジュースを持って行ってみて! 眼福間違い無しだから!」と、同僚相手に大騒ぎしていた後輩を、お客様、それも子供相手にはしたない、と嗜めていた自分を随分と遠くに感じ、彼女は我に返った。


彼女は年端もいかない少年に魅惑的とさえ感じでしまった自分を払拭するかのように、隙のない笑顔を改めてイメージして「失礼致しました。もう間も無く到着致します」と、勤めて冷静に述べて立ち上がろうとした時、窓の外に夢中になっていた少年がこちらを向いた。


彼女はうっかり自分が動きを止めたことを誰かに気付かれるかと心配するよりも、窘めた後輩が「しかも双子!!」と感極まっていたことを思い出していた。



ジムは、前の席で立ち止ったスタイルの良い美人キャビンクルーに半目で意識を向けていた。

双子が問題を起こすとは思わないが、彼らには無条件に働く問題がある。

無意識に相手を魅了する魅力チャームだ。


それを纏うことが、彼らの存在意義であり自然な状態なのだから仕方がないが。

それにしても・・・と、溜息が出る。


「あなたたち、二人で日本へ?」


半分白旗を揚げた彼女は、二人に惹かれるようにして話しを続けていた。


「違うよ。パパと一緒。僕たちがご飯食べてジュースのお代わりをもらってるうちに寝ちゃった」


窓側から、ほくほくとした可愛らしい声が答える。


「そう。お父様と一緒に日本へ行くのね」


「父はこの後ろの席です。仕事が忙しくて普段なかなか眠れないみたいだから、到着まで彼を寝かしておいてもらえませんか?」


片割れの内容を補うように、瓜二つの少年は後ろの席を指差しながら、小声で小さく説明を加えた。


「もちろんよ」


前の席から出来た息子たちの声が聞こえる。暫く双子と会話を楽しんだ彼女は身を起こし、後ろの父親をちらりと見た。

既に男は目を開けていたが、寝かせてあげてという子供の願いを壊さないように、彼女は音を出さずに口を動かして伝えてきた。


『素敵な息子さんたちですね』


男が静かに頷くと、彼女は気が抜けたような、恥らうような、それでもニコリと意味深な笑顔を見せて去っていった。


可愛そうに。

あの様子じゃ、後ろめたさと欲求に苛まれるだろうな。

食事の後、やたら飲み物を寄越してきた若いクルーの方が傷は浅そうだ。


窓の外には、一際明るく光る地上が見えてきた。

飛行機は東京の空を、着陸のアプローチに入ろうとしていた。






♪M#1:CN X

The Dark Side of the Moon の楽曲。CN X とは第X脳神経、迷走神経のこと。

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