雪原脳花

AIは夢を見たいと願うのか
Hatter
Hatter

01.02:affettuosamente #2

公開日時: 2021年8月14日(土) 08:10
文字数:1,760

”優しく 愛情深く #2”


 午後のセミナーが終わり、アマンダとキャシーは部屋で、VRライブ鑑賞を楽しんでいた。隣室に迷惑にならないように、宙空投影を広げて、音はインカム付きのヘッドホンで流し、二人は揃ってライブ会場の真っ只中に出掛けていた。夢中になって、ノックにも入室にも気付かないでいるキャシーの肩を、男の手が叩いた。キャシーが、ヒャア! と変な声を上げたので、アマンダもインカムを外して振り返った。


「ジム! びっくりした! 驚かさないで!びっくりした拍子に生まれたらどうするの?」

「ノックもした。声も掛けた。それにここは出産できる場所だろう」


 キーキーと主張する小動物を前に、動じることの無い男を見て、アマンダは、ハシビロコウ……と心の中で呟いた。


「やあアマンダ。元気そうだ」


 胸の辺りにあるキャシーの頭を撫でながら、その頭を越えてジムはアマンダに声を掛けた。


「ありがとう、ジム。あなたも(多分、元気そう。たとえそうじゃなくても、わからなそうだけど……)」


 表情の変化に乏しいジムに、アマンダはいつも心の中で苦笑し、そして、小さく可愛い小動物とのやり取りを好ましく眺めていた。


「これ、前にも観ていたやつか?」


 ジムは、ステージで静止している自分の背丈よりはだいぶ小さいボーカルを指差しながら尋ねた。


「最新のライブ!アマンダが、ついこの前のリリース日にダウンロードしたって」


 どうやら二人は、ライブを最前列で楽しんでいたらしい。目の前に広がるステージでは、映画かアニメでしかみたことのない衣装を身に着けた数人が、ギターやベースに手をかけたまま止まっている。触れられそうなほどリアルな宙空投影のミュージシャンに、相変わらず動き辛そうな衣装だ。と、ジムは思った。


「VRライブだけど、特典映像で、メンバーによる日本の街紹介があるから、日本観光出来るんだ。ジムと違って、私、外国行ったことないし。日本、行きたいし」


 じっとりと見上げてくる目に、ジムはそのうちな、と答えた。ジムの回答に、ほらね!? と言わんばかりの顔でキャシーはアマンダを見た。


「だから、アマンダと日本旅行。街を歩いて、ライブ観て満喫してるの。実際に歩いているから、運動にもなるよ」


 キャシーはその場で足踏みをしてみせた。そしてその足取りで、はたと基本的な質問にたどり着いたらしい。


「ジム、どうして来たの?私が帰るのは、今日じゃないよ」

「前回出席出来なかった、講習を受けてきた。急に仕事に空きが出来てな。モバイルに連絡した。メールもした。テキストも送った」


モバイル――キャシーはどこかに置いたはずのモバイルを、脳内で必死に探していた。先日バッテリ残量が少ないことに気付いたが、アマンダとのガールズトークに夢中で、そのまま放置してしまったモバイル……そう言えば、そのままどこかに行ってしまったモバイル……。


「……。ここ、電波が悪いみたいで……」

「ほう」


 これには、とうとう耐え切れずアマンダが吹き出した。

 3人で笑いあい、キャシーのモバイルを探し、ようやく見つけて少しした後、ジムは腕時計を見て、そろそろ引き上げるよ。と言って立ち上がった。


「泊まらないの? パートナー講習の参加者も、ゲストハウスに泊まれるでしょ」


 ジムにジャケットを渡しながら、キャシーが尋ねた。ここのご飯、美味しいよ、と付け加えて。


「すまないな。今日は帰るよ。急に出来た休みだから、急に呼び出されるかもしれん」


 キャシーの頬にキスをして、渡されたジャケットを着ると、ジムは自分のモバイルを確認した。連絡は入っていなかった。今のところ、計画は順調のようだ。


「スケジュール管理のなってないボスね」


 キャシーの不安を代弁するように、アマンダが言う。


「全くだ」


 ジムは頷き、ポケットから古臭い車の鍵を取り出した。


「ジム。出産に立ち会うつもりなら、ボスに出産日は必ずオフにするよう書面にサインをもらうべきよ。それから。いい加減諦めて、電気自動車のファミリーカーにしたら? ガソリン車なんて、前世紀の車でしょう」


 ジムは、凛としたアマンダを見て「ごもっともです」と返した。そして、ドアを出る間際に「だが、車は譲らない」と、振り向きざま言い残して、廊下に出た。

 静かなスライドで閉まるドアの隙間から、車をネタにガールズトークが再開された音を背中に聴き、ジムは駐車場へ向かった。




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