”優しく 愛情深く #2”
午後のセミナーが終わり、アマンダとキャシーは部屋で、VRライブ鑑賞を楽しんでいた。隣室に迷惑にならないように、宙空投影を広げて、音はインカム付きのヘッドホンで流し、二人は揃ってライブ会場の真っ只中に出掛けていた。夢中になって、ノックにも入室にも気付かないでいるキャシーの肩を、男の手が叩いた。キャシーが、ヒャア! と変な声を上げたので、アマンダもインカムを外して振り返った。
「ジム! びっくりした! 驚かさないで!びっくりした拍子に生まれたらどうするの?」
「ノックもした。声も掛けた。それにここは出産できる場所だろう」
キーキーと主張する小動物を前に、動じることの無い男を見て、アマンダは、ハシビロコウ……と心の中で呟いた。
「やあアマンダ。元気そうだ」
胸の辺りにあるキャシーの頭を撫でながら、その頭を越えてジムはアマンダに声を掛けた。
「ありがとう、ジム。あなたも(多分、元気そう。たとえそうじゃなくても、わからなそうだけど……)」
表情の変化に乏しいジムに、アマンダはいつも心の中で苦笑し、そして、小さく可愛い小動物とのやり取りを好ましく眺めていた。
「これ、前にも観ていたやつか?」
ジムは、ステージで静止している自分の背丈よりはだいぶ小さいボーカルを指差しながら尋ねた。
「最新のライブ!アマンダが、ついこの前のリリース日にダウンロードしたって」
どうやら二人は、ライブを最前列で楽しんでいたらしい。目の前に広がるステージでは、映画かアニメでしかみたことのない衣装を身に着けた数人が、ギターやベースに手をかけたまま止まっている。触れられそうなほどリアルな宙空投影のミュージシャンに、相変わらず動き辛そうな衣装だ。と、ジムは思った。
「VRライブだけど、特典映像で、メンバーによる日本の街紹介があるから、日本観光出来るんだ。ジムと違って、私、外国行ったことないし。日本、行きたいし」
じっとりと見上げてくる目に、ジムはそのうちな、と答えた。ジムの回答に、ほらね!? と言わんばかりの顔でキャシーはアマンダを見た。
「だから、アマンダと日本旅行。街を歩いて、ライブ観て満喫してるの。実際に歩いているから、運動にもなるよ」
キャシーはその場で足踏みをしてみせた。そしてその足取りで、はたと基本的な質問にたどり着いたらしい。
「ジム、どうして来たの?私が帰るのは、今日じゃないよ」
「前回出席出来なかった、講習を受けてきた。急に仕事に空きが出来てな。モバイルに連絡した。メールもした。テキストも送った」
モバイル――キャシーはどこかに置いたはずのモバイルを、脳内で必死に探していた。先日バッテリ残量が少ないことに気付いたが、アマンダとのガールズトークに夢中で、そのまま放置してしまったモバイル……そう言えば、そのままどこかに行ってしまったモバイル……。
「……。ここ、電波が悪いみたいで……」
「ほう」
これには、とうとう耐え切れずアマンダが吹き出した。
3人で笑いあい、キャシーのモバイルを探し、ようやく見つけて少しした後、ジムは腕時計を見て、そろそろ引き上げるよ。と言って立ち上がった。
「泊まらないの? パートナー講習の参加者も、ゲストハウスに泊まれるでしょ」
ジムにジャケットを渡しながら、キャシーが尋ねた。ここのご飯、美味しいよ、と付け加えて。
「すまないな。今日は帰るよ。急に出来た休みだから、急に呼び出されるかもしれん」
キャシーの頬にキスをして、渡されたジャケットを着ると、ジムは自分のモバイルを確認した。連絡は入っていなかった。今のところ、計画は順調のようだ。
「スケジュール管理のなってないボスね」
キャシーの不安を代弁するように、アマンダが言う。
「全くだ」
ジムは頷き、ポケットから古臭い車の鍵を取り出した。
「ジム。出産に立ち会うつもりなら、ボスに出産日は必ずオフにするよう書面にサインをもらうべきよ。それから。いい加減諦めて、電気自動車のファミリーカーにしたら? ガソリン車なんて、前世紀の車でしょう」
ジムは、凛としたアマンダを見て「ごもっともです」と返した。そして、ドアを出る間際に「だが、車は譲らない」と、振り向きざま言い残して、廊下に出た。
静かなスライドで閉まるドアの隙間から、車をネタにガールズトークが再開された音を背中に聴き、ジムは駐車場へ向かった。
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