”昼 日の光#2”
ジムはパナガリスのオフィスのドアの前に立っていた。センサーが自分を確認している気配を感じるところまではいつも通りだったが、その後開かれるべきドアが開かない。ドア近くのカメラのレンズと目を合わせても、うんともすんとも反応がない。
ジムはドアをノックしようとして遮音であることを思い出し手を止め、カメラ近くのパネルに手を翳し、表示された幾つかのアイコンからベルマークに触れた。
パネルには、“ding-dong” と数回表示されたが返答はない。
ジムは部屋でブライアンが差し出したタブレットから浮かび上がった呼出時間を思い出す。ここまでの距離と歩速を考えると、タイムリミットはもう僅かだ。残りの時間表示が赤く点滅するのが見える。遅刻などとくだらないペナルティでマイナスポイントをつけたくはなかった。
「失礼します」
ジムは、中には聞こえないことは百も承知で一声掛けると、今度はベルではなくドアオープンのアイコンを選択した。
なんてことはなく普段通りスライドしたドアの向こうからは、なんともにぎやかな普段とは違う音が流れて来た。
Marry the Night(♪M#1)・・・・・・Gaga?
ジムは鳴り響く曲に耳を傾けながらデスクまで進むと、その上には珍しい紙の書類やファイルの山が連なり、呼び出した主はその盆地で腕を枕にして(恐らく)寝ている。睡魔に勝てず落ちたのか、気絶したのか、ただただ寝たのか、それはわからなかったが、ジムは、聳え立つ紙の山々が大地の揺れによって雪崩を起こし、不幸にも上官が紙に埋もれて遭難する姿を予見した。
――検討の結果、ジムは、山に刺激を与えないよう静かに机を数回ノックした。机の振動にはっと気付いて顔を上げ、部下の姿を認めたパナガリスの顔にはありありと疲労の色が伺えたが、ジムは知らないふりをした。パナガリスの首元で、普段は制服の内側にしまってあるクロスが揺れる。
「パナガリス少佐、参りました。ご用件は?」
相手が気まずい雰囲気を醸し出す前に、ジムは事務的に処理を開始することにした。
「た、大佐から大量の資料精査を出されて、これはその一部です!だけど、紙には慣れなくて、検索は出来ないし、煩雑でフォーマットは整ってないし、スペルミスは可愛いもので、そもそも文章構成以前に何を言っているのか理解不能。手書きに至っては、文字なのかすら判読不能な状態で、そもそも読めた内容も、荒唐無稽な気が・・・・・・ページをめくり続けたら、皮膚の水分は吸われるし、指は切るし・・・・・・徹夜続きで朦朧としてきたので曲を・・・・・・」
当のパナガリスはジムの気遣いなどことごとく吹き飛ばす勢いでテンパっていた。
「!」
自室に流れる曲に気付いたのか、慌ててタブレットを叩いて再生を止める。
・・・・・・Halestorm(♪M#2)
「わ、私が、バッハやヘンデル以外を聴くのがおかしいですか?」
「・・・・・・いや」
(俺は何も言ってない)
「私はP!nk(♪M#3)もBeyoncé(♪M#4)も好きですしMJ(♪M#5)だって聴きます!」
「・・・・・・」
(俺は何も訊いてないだろう?)
息を荒くして矢継ぎ早に捲くし立てる今まで見たことの無い上官をジムは静かに見下ろし、静かなジムを見上げたパナガリスは、その凪いだ表情に一つ長い息を吐くとようやく落ち着きを取り戻したのか自席の惨状を眺め、ミーティングテーブルを指差し「向こうへ座って」と、命令した。
マグカップになみなみとコーヒー、それから砂糖を入れて混ぜ、最後に豆乳を注いだパナガリスは、ジムの前に座った。クマのできた目で、重たそうな目蓋を支えていることから、お気に入りのソイラテも、もうあまり役に立っていないことが伺える。
支給される砂糖の代わりに、100%グルコースでもそのマグに入れれば、少しはマシになるんじゃないかと、半ばボーッとしながら、タブレットを机に置き、ヨレヨレとファイルを開き始めたパナガリスを見てジムは思った。
「ジム、あなたはこの後、部屋に戻ったらすぐに出発を。行く先は招待状。大佐からは“遅刻をするな。”とのことです。私はこの件については伝令のみです。大佐は 『ジムに質問はないはずだ』 と仰っていました。本当?」
ジムを覗き込むように確認するパナガリスは、テンパるだけでなく徹夜の勢いでどうやら少しハイになっているらしい。そこまで追い詰められる資料とはいかなるものなのかと、ジムはパナガリスには無言で頷きならがら、ファイルと紙の山の端々から覗いていた書類の一部を思い返していた。
「ブライアンとロンとホリーには、明日からの準備を開始させ、2時間後にセンターへ出発するよう指示を。あなたは彼らと合流してエリックとフレッドを迎えに。チームでこちらに戻り次第、引き続き明日からの準備を行うように。ではこれから作戦を説明します」
なんともまとまりのない喋りのままパナガリスが机の上に広げた宙空のファイルを展開すると、今回のターゲットらしい男が宙に浮かび上がった。
「ターゲットは、タケシ・ヤング。日系人らしいですが、個人特定情報は無く、詳細不明。この映像も、年代不明の僅かなデータから作られた合成です。現在、更に姿形を変えている可能性もあり。その為、対象特定の高い確度が取れていない。今回の作戦、第一段階、偵察。双子をこの男に接触させ情報取得。取得データを元に、本部で、検証、次段階への判断を行います。捕獲対象と判断された場合、第二段階、生け捕りに」
「クリア条件は “Alive”か」
「そうです。但し、命があっても脳に重大な損壊を与えたり、データの引き出しが出来なくなるダメージがあるようでは、クリアにはならない。可能な限り傷のない状態でとの命令です」
ジムは宙に浮く男を手を振って回転させてみた。
一体こいつが何だと言うのだ。難易度を高く引き上げる理由は。
確かにアジア人には見えるが、これと言った目を引く特徴がまるで無い。どこにでもいそうな男。まるで意図して平均の中の平均の姿にすら見える。
「場所は日本・・・・・・LIVE BAND AID? これが貴重な情報を手に入れたあの男の作戦か?」
「・・・・・・いいえ。ジョーンズは、もうここには居ない。詳しいことは私も知らされていない。ジョーンズは転がるように消え、私には大量の資料精査が課された、それだけです」
パナガリスはジムが何を言わんとしているのかに気付き、視線を落とした後、今度はジムの目を真っ直ぐに見て答えた。ジムは、疲れ切った相手の目の中に、疲労とは別の影が見えた気がした。
「この会場じゃないとダメなのか? 偵察にしろ捕獲にしろ他にも方法がいくらでもあるだろう」
「全て指定です。この指示書にある状況が偵察及び捕獲に最適だと計算されたようです。ジム、この人間には固有パターンがほとんど無いそうよ」
パナガリスは宙に浮いたファイルの一箇所に赤丸を付けてジムに示した。
「そして確認するまでもありませんが、あなた方は、見えず、聞こえず、存在せず。そこにあってはいけない。それは我が国の軍や大使館が相手だったとしてもです。わかっているでしょうが、日本では、武器、特に銃器の使用にはいつも以上に注意を。日本の、それも東京の監視体制には注意が必要です。本当に、Hayamaのせいでやりづらい・・・・・・」
仕事モード余裕も既に無いのか、素でブツブツ文句を呟くパナガリスはソイカフェでそれを何とか飲み込んだ。
「現地サポートは捕獲後の脱出ポイントのみです。くれぐれも注意を。今回の作戦、あなた方は、あくまで一般の旅行客、イベントスタッフとして存在するのです」
ジムは、酔狂な変人を飴玉男以外にもう1人知っていることに気付いた。この作戦をオーダーしたのは、変人レスター大佐だろう。今度から奴のことは変人と呼んでやろうと思った。
命令書のデータを受け取り、部屋を出て行こうとしたジムが気付かれないように小さく振り向くと、自席に戻ってハンドクリームを指に塗り込み、フンと鼻から息を抜きながら紙と取っ組み合いを再開しようとするパナガリスが見えた。
廊下に出ると、定期巡回中の兵士の横に、ロボット軍犬がついて歩いてきた。使用用途から考えれば、犬の姿をしている必要もないだろうに、配備されているロボット犬は、わかりやすく犬の姿を模していた。犬だけじゃない。虫、鼠、猫、犬、虎、どれも自然界の動物の姿に似せて造られている。それだけ、自然の姿は理に叶っていると言うことなのだろうか。
それとも。人間はあくまで自身が存在する世界以外の何物も、存在を許すことはないのだろうか。
どうせなら、ドラゴンにでもすればいい。
ジムは自分の脇を、目を輝かせた双子が乗るドラゴンが歩く姿を描き出す。その後ろを、ロンとホリーとブライアンが笑いながらついていく。
ドラゴン・・・・・・?
馬鹿だな俺は。何を考えている。
・・・・・・スナーク・・・・・・ビースト・・・・・・。
自嘲したものの、ジムは脳裏に何度も写真のように記録された記憶を広げていた。パナガリスを生き埋めにしようとしていたファイルの隙間から覗く書類、そこに書かれていたのはどれも怪物の名前だった。
♪M#1:Marry the Night
レディー・ガガの楽曲。2011年、2枚目のアルバム『ボーン・ディス・ウェイ』に収録。
https://youtu.be/cggNqDAtJYU
♪M#2:Halestorm(ヘイルストーム)
アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。1997年、ヘイル姉弟によって結成。
♪M#3:P!INK(ピンク)
アメリカ合衆国のシンガーソングライター。2000年に、R&Bシンガーとしてデビュー。
♪M#4:Beyoncé(ビヨンセ)
アメリカ合衆国のシンガーソングライター、ダンサー、音楽プロデューサー、女優。
デスティニーズ・チャイルド初期メンバー。
♪M#5:Michael Jackson(マイケル・ジャクソン)
アメリカ合衆国のシンガーソングライター、ダンサー。1989年以降、「キング・オブ・ポップ」とも称された。
グラミー賞、13回受賞。
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