“変化 動揺#8”
タクシーを降りるとジムはトランクから荷物を取り出そうとした運転手に「自分でやるから大丈夫だ」と丁寧な断わりとここまでの礼をのべ、運転手は「こちらこそ。ご乗車有難うございました。どうぞ良い里帰りを」と頭を下げた。双子たちはお揃いのバックパックを抱え車の脇に立つ運転手のところへ並んだ。
「運転手さんが好きな曲、僕、好きになったよ」
「僕も! お礼に僕たちの大好きな曲も教えてあげるね! Dark Side of the moon って言うんだけど、知ってる? このタクシーにいるAIだったら “ヤミツキ” で探してくれるかな?」
「ダークサイド……ヤミツキ……申し訳ありません。わたしは聴いたことがないのですが……どうでしょう? でも彼は優秀なアシスタントですから探してくると思いますよ」
「じゃあ、彼に伝えてみて!!」
双子にせかされた運転手は運転席の窓から登録者の音声にのみ反応する車載AIアシスタントにキーワードを告げると、数秒後には様式美に彩られながらも洗練された重厚なメタルなサウンドがホテルの玄関前のタクシー響き始めた。ドアマンがなにごとかとこちらを見る。
「これ! この曲! 絶対カッコいいから聴きながらお仕事してみて!」
運転手はアシスタントにボリュームを下げるように伝え、やや面くらいながらも「ありがとう、坊やたち」と、最後まで孫を眺める祖父の眼差しを崩さなかった。
最後に二人で運転手をハグしてからタクシーが見えなくなるまで手を振る双子を呼ぶと、ジムはレセプションに向かった。
自動化されたレセプションで、ジムは宙空投影されたスタッフに丁重な挨拶と丁寧なホテル宿泊についての説明を受けた。宙空投影の相手はAIが合成した姿だった。おおかたの人間が安心や信頼を抱くような表情、声音、口調。よくできている。最近は、顔面の左右での微妙な不均等さえ表現しており、気にしなければリアルな人間と簡単には見分けがつかない。最後にルームキー情報をモバイルへの登録するのではなく、リアルなカードキーを受け取ると奥からポーターロボットが出てきた!
「この子! 可愛い!」
フレッドが子犬でも見つけたように、ポーターロボットに抱きついた。
「荷物は自分で持っていくから大丈夫だ」
ジムが受付スタッフに告げると、AIは微笑を浮かべながら「かしこまりました。では、お部屋へは奥のエレベーターをお使いください」と答え、出動したポーターロボットはそのまま出てきた部屋へと戻って行った。
「えー……帰っちゃうのー」
いつまでも名残惜しそうにながめるフレッドの手をエリックは苦笑しながら引いてジムの後を追う。エレベータを降りたジムはあてがわれた部屋の前を素通りするとモバイルに送られてきた番号の部屋へと向かった。ドアを軽くノックすると薄くドアが開く。
「ホリー!!」
隙間からのぞく相手をみとめると、ジムの背後にいたフレッドはぶんぶんと揺れる尻尾が見えそうな勢いで前に出る。ホリーはそのようすに動じることなく慣れた手付きで子犬をあしらいながら、それでも顔には笑みを浮かべてドアロックをはずすためさがるよう言った。ドアが開かれると同時に子犬はホリーに抱きついたが、それも想定内だったようだ。
「ハイ。ホリー」
彼女に抱きついて離れない弟をよそにエリックはホリーの頬にキスをした。ホリーはキスを返すと元気そうで何よりと双子の頭を撫でた。
「お疲れさま。双子さん」
「ねぇ、ホリー。おかえり、って言ってよ」
下から見上げてくる瞳が言う。いつものステンドグラスではなく精巧に出来た模造の黒曜石に映る自分は、どこか夜の砂漠に迷い込んでいる自分をのぞいている気がした。迷い込んだまま質問の意図がわからず問い返す。
「おかえり?」
「そう。おかえり。僕ね、ただいま、って言いたいから。ちょっと家族っぽいでしょ」
無邪気な子供の答えにますます砂に足を取られた気がした。逡巡していると奥の部屋から様子を伺っていたブライアンがホリーへ助け舟を出してきた。
「ジムとお前たちは確かに家族に見えるぞ」
それを聞いたフレッドはあっけなくホリーから離れると、自分を助けに来た舟ではないことなどお構いなしに飛び乗りブライアン目掛け漕ぎ出した。
「ブライアン叔父さん!」
「誰が叔父さんだ!!」
「だって、兄さんじゃないし。あ、おじいさん?」
「俺はジムより若い!! なあジム?」
「そうだな。お前は100年も生きてないからな。若いぞ」
顔をしかめたブライアンと、冗談なのかからかいなのか、はたまた真面目な回答なのかさっぱりわからない飄々としたジムを見て、ロンが飲んでいたアニメキャラが描かれたエナジードリンクを盛大に噴出した。噴出の先では運悪くフレッドのあとを追ってきたホリーが、顔から派手な色の液体を滴らせて停止している。笑い転げるフレッドと青筋を立てるホリー、青ざめるロンはますます騒ぎを大きくした。
3人を尻目にジムは椅子を引き寄せ腰を下ろした。ブライアンは備え付けの冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターをジムとエリックに渡し自分も席に着いた。エリックが「ありがとう」と笑顔を浮かべると、慣れているとはいえその顔に惹き込まれる。キャップを脱いで机においたエリックの見慣れない黒髪を大きな手でかき回してみた。
「黒い瞳も黒い頭もなかなか似合っているじゃないか。染めたのか? それともカメレオンみたいに変えられるとか? 堅物の日本の入国審査官を微笑ませるとはさすがだよなぁ」
「ベテランの客室乗務員も、だ」
ジャケットを脱ぎ、冷たい水を喉に流し込みながらジムはニヤリと笑って情報を付け足してやった。
「おまえ、すごいな。うらやましいぞ」
ブライアンは両の掌でエリックの頬をはさみ引き寄せると、真顔でまじまじと顔を眺めた。ジムはボトルを机に置いて「ロン」と声をかけると、床に打ち棄てられた死に体、足が悪いどころか、足も翼もボロボロ状態のロンは辛うじて「大丈夫っす……」と答えた。
「助かる」
「俺、天才っすから……」
床に体を横たえたままサムズアップするロンに頷きながら、ジムは荷物の中からタブレットと煙草とライター、それから超小型でありながら高性能な空気清浄機と痕跡回収パックを取り出すとフリントの小気味良い音を立て火を点け、この世の至福、と、煙を肺に収めた。
この部屋のセキュリティは、完全にロンの支配下にあった。
「お前みたいなヘビースモーカーは大変だよなあ。ニコチンパッチじゃダメなのか?」
「腕が吸盤だらけのタコの足みたいになる」
「毎度フライトは苦痛だな」
「慣れている」
「慣れで長時間のフライトも任務もこなせるのに禁煙には至らないわけか。双子たちの魅力といい、お前の精神力といい不思議なもんだ」
「ブライアン。残念ながら僕たちに変身能力は無いよ。SAIは魔法は使えない」
ふむんと息を吐くブライアンの両の手を顔から離したエリックが答えた。
「俺からするとお前たちもジムも、魔法を使っているように見えるがなぁ」
「そっちはどうだ。報告では問題はなさそうだったが」
煙を吐き出しながらジムがブライアンに問う。ブライアンはジムの吐き出した煙が音もなく空気清浄機に吸い込まれていくのを見たあと、エリックのキャップのロゴに視線を移した。最近、仕事でもよく見かけるロゴだ。
「ああ。イベントスタッフとして問題なく潜入できている。ターゲットが今回のステージにアサインしてくることも確認済みだ。人気のステージ火煙師らしい。出演するバンドの中に贔屓にしているところがいつくかあった。このキャップ……」
「DarkSide Of The Moon、日本語では “ヤミツキ” って言うらしいよ。ほら、ここ、裏側にカンジが書いてある」
エリックはキャップの後ろに “闇月” と刺繍された文字を見せた。
「ヤミツキ、ね。えらく人気らしいな。今回のイベント、世界有数の参加者の中、ホストとは言え数少ない日本のアーティストとして参加している。まぁバックに今回のチャリティの主催側系列のデカイ企業がついたとか、海外進出も目前とかそんな話も聞こえてくるぞ。このバンドもターゲットを以前から贔屓にしていて今回も指名している。しかし、スタッフに紛れていれば近付くことは難しくないが、いざ捕獲となるとな。こいつが本部が回収しようとしている本物の “亡霊” だったとして元軍人としてのスキルはどの程度なんだ? もう少し情報を与えてくれないとこっちの身が持たないぜ」
ブライアンの言うことはもっともだった。だが本部はどんなに要求したとしても自分たちには必要最小限の情報しか渡してこないだろう。本部の連中は俺たちが情報のピースを組み合わせて何かの形を見てしまうのを恐れているのかもしれない。
闇から闇へと葬られる情報のかけらを狩るのも俺たちの仕事だ。俺たちのように裏の世界でしか存在できない日の当たる場所を奪われた、或いは自ら望んで捨てた元人間、“亡霊”。表立って捜索することも出来ない案件を追跡するのが灰色の幽霊犬(グレイ=ゴースト・ハウンド)と言うわけだ。暗殺から人形制作、亡霊狩りまで俺たちの仕事は灰色のわりに実に多彩だ。
亡霊。そうか。死んだ人間か。だが、本部がターゲットとする “亡霊” は実際には死んじゃいない。少なくとも肉体は生きて動いている。元人間としての存在データを失った “魂を亡くした人間” と言うわけだ。
ジムは煙草を口から離すと、短くなった煙草の火をながめた。ささやかにチリチリと燃焼する音が聴こえる。
化け猫が探せという、脳がはじけ肉体が滅び魂だけがさまよっている死人とは違う。
そのまま痕跡回収パックに放り込むと、新しい煙草に火をつけた。
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