“変化 動揺#15”
一足早く食事と風呂を済ませ、寝る準備のできた双子が飲み物片手に大人しくソファに座ってTVを見ている背後では、大人たちが夕食のデリを広げたテーブルを囲んでいた。
「二人が今日取得したターゲットの情報は送信済みってことは、あとは狩るべき獲物かどうか本部が真偽を判断するまで待ちか」
ジムの前に並んだ豆腐料理――冷奴に始まり、生湯葉と揚げ出し豆腐、生麩田楽、胡麻豆腐、豆腐のしゅうまい、最終的に杏仁豆腐にたどりつき――いったい誰が選んだのやら……それに杏仁豆腐は豆腐じゃないよな? を眺めながら、ブライアンが仕事について確認すると、ジムは「そうだ」と頷き、ややあって杏仁豆腐を寄越してきた。
「やる」
「いや、別に俺は欲しいから見てたわけじゃないぞ。杏仁豆腐は中国の薬膳・・・・・・」
「やる」
「……わかった。頂くよ」
どうやら今夜の夕食のチョイスはジムの意向ではないらしいことを察したブライアンは、それ以上何も言わず杏仁豆腐を受け取った。ついでにちらりとホリーの目の前を眺め、これまた何かコメントしようかとも思ったが、やはりやめておくことにして何も言わずうんうんと一人会得した顔で自分の晩飯を袋から取り出した。
「いつ連絡来るんすかね。本当にこのイベント中じゃないとダメなんすか? 日数も限られているし、捕獲のタイミングが多いとは言えないと思うんすけど」
ジムの前にある生麩田楽に興味津々なロンは、後で一つもらおうと考えながらもまずは自分の前に並べた夕食をかきこみ始めていた。これ美味い、だけどちょっと切ないと思いながら。
「会場は予想以上に死角、少ないですよ」
自前の謎ドリンク、茶(?)が無いのが多少不満ではあるらしいが、“家族で健康 超青汁” と “真のお茶 真緑” と筆文字で書かれたペットボトルをいたく気に入ったホリーは、大量のブロッコリーとアスパラにバジルドレッシングがかかったサラダにサグパニール、購入時『絶対にこれ、サグに合いますよ!』『いやぁ……』とひくついたブライアンにせまった青海苔フォカッチャ、極めつけは『デザートです』と言って有無を言わさず一本買いしたTORAYAの抹茶羊羹。見事にホリーの前には緑、それも深い緑が広がっていた。
『食事まで迷彩かっつー話だぞ、ホリー。どういうセンスだよ? ここは日本だぞ。日本と言えば、スシ、テンプラ、ウナジュー、カツドン、ヤキトリ、ソバ、ウドンっすよね?』と、有名老舗のデリを回ろうとしたロンは、ブライアンに首根っこをつかまれて、結局、天むす、カツおにぎらず、いわしの蒲焼缶詰+焼鳥缶詰+白米(大盛)、ざる蕎麦ざるうどん両方が半分ずつセットになった“ざるざる弁当”を購入することになった。なんか、寂しい。いや、これは侘しいと言うやつっすよ! 涙目でロンが首筋をおさえる相手を仰ぎ見るとそこには、突き出した左手に「ストップ! 予算!」と書かれた東大寺南大門金剛力士の阿形のブライアンがいた。
「習慣や特定行動の無い人間だぞ。幽霊でなかったとしても怪しすぎる。それに闇雲に俺たちがこの東京で動くリスクを考えれば、イベントに絞ってもらったほうがマシだろう」
ブライアンは五目中華やきそばのディナーボックス(タイムセール30%OFF)をつつきながらロンに答える。確かに先ほどジムから受け取った杏仁豆腐はにこのやきそばにこそ相応しい。甘党のブライアンはジムの夕食をチョイスした誰かにそっと感謝した。
飲みたかった日本酒が手に入らなかったジムは食事には手を付けず煙草に火をつけた。
幽霊だったとしても、現実世界に見えている人間一人を人知れず観衆の前から攫うのは容易ではない。最良な狩場など与えられたことなどない。可能な限り情報を集め、成功の確率を最大限に引き上げなければこちらが光へ炙り出されて終わるだけだ。その時は灰にでもなるしかない。
「ターゲットがアサインする仕事は?」
「メインとサブに出演するアーティストのうち3グループ、それからフィナーレにも。そういや、フィナーレにエリックとフレッドご執心のバンドの出演が決定して、そっちにも借り出されるっすよ。ヤツ、人気っすね」
「ああ。俺のとこにもその情報、決定事項として来てる。今回のスポンサーの一つが、そのバンドに目を付けたらしく世界に売りに出す事前プロモーションを兼ねることにしたとか」
「最終日か。それなら都合がいい。イベントの真っ只中に人気者が消えるのは後処理が発生しそうだ」
余計な処理を増やすと後から何を言われるのかわかったものじゃない。面倒ごとは可能な限り避けたいジムであった。
「本番中のステージ以外にもターゲットの動きの情報がほしいところだな。居場所さえわかればやれないことはないが、リスクは最小限に抑えたい」
「ステージ演出時の作業位置はわかりますけど、ヤツの当日の実際の動きとなると……リハにでも潜り込まないと」
「リハもゲネも基本は各出演者側のスタッフで作業します。私たちの今の肩書き、主催側スタッフではある程度しか近付けない。不用意に近付きすぎると気取られる恐れもあります」
ホリーがぐいぐいと飲む真緑色のペットボトルを見ながら、そうだとブライアンが妙案を思いついた。
「会場のボトル、あれのバックパスツアーに一般人に紛れてもぐりこむってのはどうだ? あのツアー、フィナーレのリハーサル見学だったろ」
「当てなきゃダメじゃないですか」
ブライアンの案に、ホリーがなにを言っているのかと羊羹にかじりついた。
「ロン、お前なんとか出来ないのか?」
「さすがに今からシステムに忍び込むのは無理っす。意外とセキュリティかたいんすよ、あの抽選。計画段階から紛れ込ませた囮イベントとは違うんすよー。今夜がトクジョーウナジューだったとしても無理っす」
蒲焼丼(イワシ)をかきこむロンは、助けを求めてきたブライアンをあえなく撃沈した。
「使えないやつ」
「んだと?!」
ホリーとロンがカーキ迷彩食とB級日本食で言い合いを始めると、ジムは新しい煙草へ手を伸ばし、ブライアンは大きく息を吐いて天井を仰いだ。
TVがCMに入ったところで、「そうだ」とエリックはバックパックに付けておいたチケットリングを取ってくると手に持っていたロテリィ付きボトルにかざした。数秒後チケットリングからカラフルな色彩が飛び出しミーティング座礁している大人たちに向けて宙空投影の舟に和装のコロボックルのようなキャラクターが7人乗って漕ぎ出した。ころころと太った笑顔の一人が「お見事! 大当たりじゃ!」と言うと “Jackpot” とロゴが飛び出て桜吹雪が頭上を舞った。
「当たったみたいだよ」
エリックが大人たちに笑顔を向ける。その隣にもう一隻の船がやってきて、やはり桜の花びらをばら撒いた。
「僕もー!!!!!!」
ソファの上に立ち上がったフレッドは歓喜の声を上げた。
「……」
「うそ」
「マジか……」
「お前らすげえ!!」
大興奮の双子を部屋に連れて行ったジムが戻って来た頃には、ロンとホリーは明日の朝が早い、毎日早い、早すぎ、日本人は働きすぎ、このイベントひとづかい荒い、なんだかんだのと言って早々に各自の寝床へと引き上げていた。
「何か飲むか?」
「ああ。水でいい」
戻って来たジムにブライアンはペットボトルのミネラルウォーターを渡し、自分はコーラを開けて椅子に座った。
「で、ターゲットはどうだったって? 二人が見た感想は」
「若いそうだ」
ジムは冷たい水をあおった。
「若い?」
「俺たちが見せられた本部の合成データ像よりずっと若く見えたそうだ」
「整形も考えられるが……幽霊じゃなく生きてる人間、人違い、いや幽霊違いの可能性もあるか」
「わからん。そもそも俺たちにはターゲットの情報はほとんど渡されていないからな」
「それもそうだ。まったく。この情報を寄越さないってのはなんとかならんもんかね」
ぼやいてみたものの、どうすることも出来ないことは百も承知だったのでブライアンは話を続けた。
「当たりだったとして、どこでやる? 会場は人で溢れているし、ホリーも言ってたように死角は案外少ないぞ」
「人だけじゃなく、搬入出される機材も物も溢れてるだろう」
ジムは煙草に火をつけると煙で肺を満たした。凪いだジムの顔を見ながらブライアンは何を言わんとしているのかを悟った。
「……まぁ確かに。だが大人しく箱詰めされるタマか?」
「嫌でもしてもらうさ。大人しく生きてさえいればいい」
笑うでもなくましてや凄むわけでもなく。ただ淡々とジムは煙を吐くのと同じく静かに言葉を発しただけだったが、ブライアンは時折感じる、この男だけは絶対に敵に回したくないと言う背筋の冷たさをこの一瞬に思い出していた。
■■■
ジムが出て行った部屋では、布団を頭までかぶったフレッドが暗闇に目を開くと自分と同じように寝たふりをしたエリックにそっと囁いた。
「ねぇエリック。あの音、なんだったんだろう。僕、初めだよ。人間から音が聴こえたの」
「わからない。僕だって初めてだもの」
同じように目を開いたエリックは、天井を向きながらフレッドの言う音を思い返していた。
「あの音さ、あれってイリヤが創る音に似てなかった?」
「僕もそう思ったよ」
エリックは、横を向いてフレッドを呼んだ。
「フレッド」
「ん?」
「あの音のことは誰にも内緒だ。俺様が僕たちの宝箱にあの音をしまったから誰にも気付かれない。僕たちだけの秘密の音だよ」
「うん。大丈夫。誰にも言わないよ。俺様が守っている宝箱だもの。でもどうして俺様は宝箱に入れようって言ったのかな」
「わからない。でも、あの俺様が一瞬驚いたような気がした」
「わかる。俺様も驚いたりするんだね」
フレッドが面白そうにエリックを見ると、互いの瞳が薄く発光し始めているのが見えた。
『俺は驚いたりはせん』
「あ。寝てたんじゃないの?」
『お前nたちも寝てたんじゃないのか?』
「残念でした。僕たちはキツネの嫁入りしてたの。上手に出来たからジムはすぐに行っちゃった」
「それを言うならタヌキ寝入りでしょ」
「エリック。細かい」
「細かいとかいうレベルじゃないでしょ」
『待て待て。兄弟論議はそれこそ俺が寝てから好きなだけやれ』
「俺様はどう思う? あの音」
『わからん』
「俺様でもわからないこと、あるんだ」
『悪かったな』
「あの音、僕たちだけにしか聴こえてなかったよね」
「頭にダイレクトに響いてきたと思う。俺様はどう思う?」
『……少なくとも空気の振動じゃあない。そして、発していたあの男自身も気付いてないだろう』
「あの音のこと気になるんだね、俺様」
「だから宝箱にしまったの?」
『まあな。こんな面白いネタ、人間どもに簡単に渡してたまるか。この俺がわからないと言うネタだぞ』
「気になるというか、気に入らないんだ。わからないってことが」
『エリック。生意気だぞ』
昼間の笑いにしてやったりと、エリックはくすくすと笑った。つられてフレッドも笑う。
「だからもう一度近寄るためのバックパスツアーなんでしょ?」
「すごいね、俺様! さすがだね!」
『当たり前だ。しくじるなよ、お前たち』
「福引まで当てちゃうなんて、俺様、ほんとに神様みたい」
『フレッド。何度も言ってるだろう。カミサマはやめろ』
「ね。考えてくれた? あの子のこと。俺様ならなんとかできるよね?」
俺様の言い分すらどこ吹く風で、フレッドは今日出会ったセラの話を始めた。
『成功する確率は低いが、方法がないことはない』
「やった! 俺様すごい!」
フレッドが嬉々として話をするのを聞きながら、エリックは考えていた。
確かに聴こえた。あのパイロテクニクス技師、今回のターゲット、タケシ・ヤングから。
音が、旋律が確かに聴こえた。それも大好きなギタリストが奏でているのかと思うような音で。
あの音はいったいなんだったんだろう。
僕もフレッドも驚いた。そして絶対に認めないけど俺様も。そして俺様はそのデータを僕ら以外の誰にもわからないように、俺様と僕らが共有する隠しファイルにしまった。他の誰にも見えない、あの時、彼が言った僕たちが僕たちであるための大切な宝箱に。
『そうか。お前たちには声が聴こえているのか。だが、それは誰にも見つからないようにしなくてはいけないよ。その手を離したくなければ。そうだ。宝箱を作って、声に護らせるといい』
彼は三日月のような笑みの前に人差し指を立てて見せると、そう言ってどこかへ消えてしまった。
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