あのあと、つぐから何かを訊ねてくることはなかった。もしかすると、差し金だった千鶴が報告をしていたのかもしれない。行きのバスで一緒になった時に、「頑張って」と一声だけかけて来た彼女の表情からは、心配の色は消えていた。代わりに塗られた期待の色に、一瞬躊躇したけど、私は自分を鼓舞する意味も兼ねて、「任せて」と返した。
描く絵は、自然と決まっていた。思い返すと、昔はこうして深く考えずに被写体を決めていた気がする。ただ好きな景色を探しては、スケッチブックやキャンバスに色を塗っていた。
けれど、過去に描いた絵を思い浮かべると、そこには母との思い出が必ず存在している。アイスをいつもねだっていた商店街のアイスクリーム屋、転んで膝を擦りむいた私を慰めてくれた石畳の道、まな板の音が響く古めかしいキッチン、幼稚園の帽子をかぶせてくれた玄関、いくつも――、いくつも――、いくつも――。あの頃の絵が明るいのは、母の優しさが景色に溶け込んでいたからだ。
私は、祖母の死をきっかけに、その優しさと温もりから目を背けた。絵に込めていたそれらは、もうないものだと無意識に気がついてしまったから。だけど違った。母は私の絵の中で確かに生き続けている。だから、自分の中にだけあるものから目を背けてはいけない。それが絵を描き続けるということだ。
千鶴やつぐは、そこに気がついてくれた。母のいない景色を描いていた私の絵を、亜美らしくないものだと切り捨ててくれた。彼女たちは過去の私を知らないはずなのに、絵からそれらを感じ取ってくれた。小さくも重大な綻びに気づいてくれた。
見つけた綻びを結び直し、私は再び絵を描きはじめる。
ガラスの工芸品や食事処が軒を連ねる観光地から商店街を抜けて、お寺へと続く参道の途中の小川に掛かる針屋橋という小さな橋。そこからの風景を描く。
日本家屋と穏やかな小川のせせらぎを、あの頃の町に流れていた空気と音を、あの町に溢れていた人の温もりを、色へと変えていく。
母が亡くなった秋のはじめ頃の季節をイメージして、小川の石垣にまだ残る夏草の緑は、力強い生命力と明るさを、白塀と雲の色には、わずかに影を落として、夕暮れに向かう町の寂しさを演出する。
あえて写実的に暗さを含めたのは、描くべきものが昔に立ち返ったとしても、あの日から今日までに私が描いてきたものも否定してはいけない、と思ったから。私は今の私らしさを絵に込めなければいけない。
とはいえ、母との思い出を、どうしても誰かに知って欲しいわけではなかった。この参道を、母と手を繋ぎ歩いていたことなど他人にとって関係のないことだから。
ただ、母が生きていた大好きだったあの町を、息をしている景色を、この絵を見た誰かに知って欲しい。日が昇り、影が差し、時に雨や雪を降らせながら、季節を巡り、また寂しい夜へと移ろっていく町を感じて欲しい。
絵描きはやはり魔法使いかもしれない。完成が近づいた絵を見つめながら、私は母の病床での言葉を思い出していた。母の言う通り、誰かを幸せに出来れば、それが一番なのだけど。少なくとも、自分の絵に私は救われた。
潤んだ視界をごまかすように、窓の外を見る。
久しぶりに見た晴れた空は、長浜の澄んだ空と重なって、どこまでも青く、透明な世界にまで繋がっていそうだった。
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