――生きてさえいれば、誰しも平等に訪れるものがある。
悪夢のような夜を洗い流す、眩しいまでの朝だ。
恒星ケプラー22がビワ湖の水面を照らす時、愛車の助手席には君がいた。
純白の巫女衣装に映える、金糸銀糸の爪弾く旋律を思わせる刺繍。
朝日に照らし出された、この世の物とは俄に信じ難いまでの美しい顔立ちと、栗色の長い髪のなびき。
私はまだ夢の続きを観ているのか、今際の際に佇んでいるのか、徐々に靄の晴れてきた頭の中で答えを見つけ出そうと試みた。
だが、どうしてだろう……そんな事はどうでもよくなるような心地よさに浸っていたくもあったのだ。
こんな気持ちになったのは、本当に何年ぶりなのだろう。
もうすでに記憶の彼方に置き去りにしてきたような、懐かしくもあり、切なくもある感傷。
胸の上辺りに体重を預け、子供のような寝息を立てているニーナを、一緒に包まれた毛布の中でそっと抱き締めた。
屋根なし車のガラス越しには、焼け爛れたような廃墟の風景が広がっている。
カルキノス教団の本拠地と噂のあったオーミナガハマ城跡である。
もうすでに滅びかけていたのか、私が来る前に――。
「あっ、おはよう、ヒコヤン……様」
「ニーナ……」
「ごめんなさい。起こしてしまったかしら?」
「いいんだ。俺は昨日ここまで来て、力尽きてしまったんだな」
「ええ、無理は禁物よ。……あなたの事、ヒコヤンって呼んでもいい?」
「ああ、いいぜ。君は、もう演技を続ける必要もないだろうしな」
「ふふふ、私の事も全てお見通しって訳?」
「そういう事になるかな。半分は強がりだけどね」
「私はカルキノス教の信者じゃないわ。ふりをしていたのは、このコロニー都市で……」
「教団の勢力が強大だったから、生きてゆくためには仕方なかったんだね。そいつは想定内だよ」
「それに残念だけど、ヒコヤン、もうゾエアを狩る事は無理だよ」
「どうやったのかは知らないが、君がカルキノスに伝えたのか。『二度と人間の前に姿を現すな』とでも言ったのかな」
「孤児の私とゾエアは幼い頃より、心を通わせていたの。誰も信じちゃくれないけど」
「そこを教祖につけ込まれたのか。コントローラーで神の使いを制御、なんて嘘だろう。君が陰から指令を出して動かしていたのか」
「私に必要以上の価値を見出させないためにもね。それが自分にも、ゾエアにも、一番の利益になると思ったから。これも想定内かしら?」
「まあね。無茶な教義で斜陽となりつつあったカルキノス教団の、最後の切り札ってところか」
「あと、罠にはめようとは思ったけど、ヒコヤンを殺す気はなかったわ。少なくとも私にはね」
「分かってるさ。でも生娘というのは本当だね」
「……! 失礼しちゃうわ。たったあれだけの時間で、私の事をどこまで知っているというのよ」
「一を見て、十の事を知らなければ、カルキノスハンターとして一人前とは言えないな」
「そこまで堂々と恥ずかしげもなく宣言するのなら、今現在の気持ちを、私の密かな希望を察する事もできるの、あなた?」
「言わせるなよ、ニーナ。ここから去ってしまいたいのだろう」
「確かに。色々あった、この狭い街からおさらばして、自分の可能性を広げてみたいとは思う」
「どこへでも連れて行ってやるさ。君の好きな所まで、風の赴くままに」
「だけどヒコヤン、あなた……外したわ。まだまだね」
「ははは、概ね想定内だな。不思議な事に君の前では何だか、どうも口数が増えて、おしゃべりな男となってしまう」
「ヒコヤン! オーミヒコネ市から、ここに移り住んで、いつまでも私と一緒に暮らして欲しい」
「それは、想定外……かな」
2人を乗せたロードスターは、日の出の方向にゆっくりとではあるが、進み始めた。ヒコヤンの眼は来た時よりも輝きを増し、ニーナのサラサラとした髪は、穏やかに風の中に揺れる。
ケプラーノコギリガザミを倒した証拠として総督府に持ち帰ろうとした左爪の一部は、教団によって苦しめられた人々に進呈すると、彼は彼女に伝えた。
「さようなら、ゾエア……」
ニーナの呟きに呼応するかのように、遙か彼方の水平線には細波が幻のように浮かんでは消えたのだ。
【To be continued™】
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