ホルスとの戦闘に備えて、アルガス本部は日に日に緊張感が高まっていた。ピリピリした空気と普段以上の訓練に、心も体も疲れが嵩んでいる。
開戦のタイミングが予測できない中、一日が終わる度に期待と焦りの入り混じった重い感覚が下りてきた。
忍と東京駅で会ってから三日が経って、朝一で会議の招集が掛かった。
本部にいるキーダー4人が、それまでのレポートとパソコンを手に会議室へ移動する。朝に淹れたばかりのマグカップのコーヒーが、京子の手元で揺れていた。
「戦いに向けての話し合いをするんですよね? 他の支部のキーダーも来るのかしら」
「どうだろう。今回はウチの管轄だから、助っ人を頼むにしてもまずはこっちの意見を纏めなきゃだよね。コージさんのヘリも戻ってないし、長官も向こうに居る筈」
朝の時点で会議の内容は聞かされていない。
誠は一度九州へ行くと、翌日に戻る事はまずないだろう。
「あぁけど上官が居るって可能性はあるのか。上の人たち、この所ずっと機嫌悪くない? なるべくなら居ない方が良いかな」
集まるのがキーダーだけとは限らない。
拷問部屋もとい報告室の3人が頭に浮かんで溜息をつくと、綾斗が「小声で」と声を潜めた。
アルガス解放の前からいる3人は、ホルスの起こそうとしている『キーダーが銀環をしない』という改革に断固拒否の姿勢を崩さない。もちろん京子たちも敵側に賛同するわけではないが、3人のテンションには温度差を感じてしまう程だ。
京子が「うーん」と唸りながら階段を上ると、美弦が小走りに駆け寄って来て、ピタリと横に並んだ。
「京子さん、全然話変わるんですけど、今日の夜って空いてますか?」
「えっ今日?」
突然の質問に「あれ」と一瞬考えて、京子は後ろを歩く綾斗をチラと見た。
彼は黙って首を横に振る。『何もないよ』の合図だ。
「空いてるけど、何かあった?」
何だろうと首を傾げると、美弦は「やった」と胸の前に抱えたファイルを抱き締めた。後ろで修司が何故か苦い顔をしている。
「ホテルのディナーバイキングのペアチケット、友達が行けなくなったからって貰ったんです。こんな時にって迷ったんですけど、行かないのも勿体ないなぁって思って」
「バイキングか」
「それも今日の日付指定なんですよ。六本木のホテル……この間、お昼のテレビで見ましたよね?」
「カレーとデザートのやつ? あそこなの?」
「はい! 世界のカレーが食べれるんですよ!」
つい先日、特集を食堂のテレビで見て盛り上がったばかりだ。
季節限定のフルーツを中心に様々なスイーツが並んでいるという話を聞いて、京子は「凄い」を連発していたが、無類のカレー好きを公言する美弦はそっちが本命らしい。
「行きたい」とはしゃぐ京子に「良かったぁ」と手を叩いて、美弦はくるりと綾斗を振り返った。
「京子さん借りても良いですか?」
「構わないよ。緊急対応はできるようにしておいてね」
「ありがとうございます!」
「けど私で良いの? 修司とデートした方が良いんじゃない? 修司、甘いモノ好きだよね?」
「修司は良いんですよ」
つい数秒前まで笑顔だった美弦が、サッと表情を曇らせる。
その理由は気まずそうに唇を結んだままの修司を見れば明白だ。
触れてはまずい話題なのだろうか──京子が綾斗と目を合わせると、美弦はすぐにその理由を口にした。
「修司は今日、アイドルのイベントに行くらしいんで」
「あぁ……」
思わず納得の声が漏れてしまう。
そういえばジャスティは新曲が出たばかりで、テレビや町中で耳にする機会は多かった。
「修司はそれで良いの?」
「前から決めてたんで。京子さん行ってきて下さい」
修司は「俺は大丈夫です」と頷く。
どうやら今日のアイドル活動に関しては、先に許可が下りていたらしい。不満は大いにありそうだが、美弦もそれ以上は強く言わなかった。
「だったら有難く行かせて貰うね。何かあったらすぐ戻って来るから」
「二人とも、息抜きしてくればいいよ。とりあえず今はこっちを終わらせないとね」
先頭を歩く綾斗が会議室の前で足を止める。
途端に緊張が走るが、綾斗は「入ろう」とドアノブに手を掛けて3人を促した。
今日はホルスとの戦いに備えての会議だ。前情報は何もない。
そこに誰が居るのかも、4人はまだ知らなかった。
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