京子がその指輪を桃也から貰ったのは、3年以上前の誕生日だ。
まだ恋人同士だった頃の嬉しかった気持ちが頭の端にこびりついて、別れてすぐにそれを捨てることが出来なかった。クローゼットにしまったまますっかり忘れていたが、キーダーにとって大きな節目になるこの戦いを機に、手放すことが出来ればと思う。
なのにそんな私情に浸る暇もないまま、指輪は暗闇の奥底へ飲み込まれていく。想像もしていなかった展開でだ。
屋上の穴にぶら下がる桃也を見つけて、京子は慌てて前へ飛び出した。脆くなった床を能力で硬化させ、夢中で彼の手を掴む。
桃也を引き上げた所までは良かった。けれど緊張が緩んだ瞬間、指輪がポケットから穴を目掛けて零れ落ちたのだ。
念動力を発動させる余裕もないまま、指輪は暗闇の奥へと消えていった。
「指輪が……」
「指輪? 指輪がどうしたんだよ」
「桃也に貰った指輪、落としちゃった」
京子は穴の縁に愕然とへたり込んで暗闇を覗き込む。
桃也が訳も分からず「はぁ?」と眉を顰めた。
「誕生日にやったやつ? お前、まだ持ってたのかよ」
「だって。サヨナラするタイミング逃しちゃって……」
「だってじゃねぇよ。お前のカレシは俺じゃないんだから、潔く捨てろよな。どうせ無くしたとか忘れてたとか言うオチなんだろ?」
「…………」
ズバリ言われて、返す言葉が見つからない。しまっておいたと言えば聞こえはいいが、忘れていたのは紛れもない事実だ。
名残惜しく穴を見つめて、京子は唇をかみしめる。
「今飛び降りたら見つからないかなぁ?」
「やめとけよ。どうせ手放すつもりだったなら、ちょうど良かったじゃねぇか。それとも指輪とお別れ会でもする気だったのかよ」
「それは……」
桃也は口籠る京子の両手を一瞥して、短い溜息を響かせた。
「アイツの為なんだろ? 言わせんなよ。お前にそう思って貰えただけで、俺は満足だよ」
指輪をここへ持って来なければ良かったと、少し後悔した。結局桃也を困らせてしまった。
「ごめん」
「いいから。それよりお前、どうしてここに来たんだ? 応援に来てくれたのか?」
「下でこれを拾ったの。桃也に何かあったのかなって探したら、戦ってるのが見えたから」
京子はポケットを探って、入れておいたお守りを彼に差し出す。
正月にプレゼントしたそれは、桃也のピンチに導いてくれたようだ。
「悪ぃ。俺、落としてたのか」
「気にしなくて良いよ。間に合って良かった」
桃也が胸元のポケットを確かめて、「サンキュ」とお守りを受け取った。
「そういえばお前、今日が何の日か知ってるか?」
「今日? もちろん覚えてるよ。桃也の誕生日でしょ?」
唐突な質問だったが、忘れる訳はない。
京子は「任せて」と胸を張った。
「けど、プレゼント用意してなくてごめんね」
「別にねだってる訳じゃねぇし……」
「じゃあハッピーバースデー歌ってあげる!」
準備不足を補うように、京子はその歌を歌い出す。
初めて桃也に会った日に、歌って貰った思い出の曲だ。
「おめでと、桃也」
「お前、そんなに歌ヘタだったっけ?」
「そういう事言わなくて良いから!」
まさかの評価に、京子は赤面する。さっき忍にも同じことを言われたばかりだ。
流石に二人から言われるとショックは大きい。
「ごめん、けどありがとうな?」
「……うん」
無理矢理なフォローは気休めにしかならないが、今はただ彼の無事にホッとした。
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