綾斗の車で泣き疲れたせいか、大晦日に続いて元旦もゆっくりと眠ることができた。
昨日だけで色々な事がありすぎたが、傷心に浸っている余裕はない。まずはいつも通り仕事へ行こうとクローゼットに提げたコートを掴んだ所で、京子はふと大事なことを思い出した。
「そうだった……」
コートのポケットに隠した指輪を取り出して、大きく溜息をつく。
彼との思い出が染みついたそれを海へ投げて関係を綺麗に終わらせたかったのに、戻って来た綾斗に驚いて咄嗟にポケットへ手を入れてしまったのだ。
少しずつ桃也への気持ちが落ち着いてきているのに、指輪を残す事への罪悪感を覚えてしまう。その理由の半分は綾斗の存在だ。
──『俺は、京子さんが好きです』
耳に残ったその声が、何度も脳内に反芻してくる。
あまりにも突然で、まだ彼への返事は見つかりそうになかった。
桃也とは別れてしまったけれど、彼を嫌いになったわけじゃない。指輪ぐらいと思ってしまうが、そう考える度に「駄目だよ」と自分の中の理性が繰り返した。
「別れるって大変なことだな」
足元のゴミ箱をチラ見して、フルフルと首を振る。
今は『その時』ではないのかもしれないと割り切る努力をした。
「幾ら何でも、ゴミにするのは良くないよ」
残す事と、ゴミ箱へ入れる事を天秤にかけて、
「保留にしよう」
とりあえずの処置として、クローゼットの奥にある小さな引き出しに指輪をしまった。
☆
正月ムードの街を歩いてアルガスへ向かうと、珍しい人物が京子を迎えた。
「おはよう、京子」
「えっ朱羽?」
まだ午前中の早い時間だ。普段からアルガスに寄り付かない彼女の登場に驚いて、京子は目を見開く。
朱羽は腕に提げた私服のコートを羽織って「何よ」とスネて見せた。
「幽霊でも見るような顔しないでよ。私は書類を届けに来たの。貴女が来るって聞いたから、待ってたのよ?」
京子は階段に乗せかけた足を引いて、手摺の外側へ回り込んだ。
朱羽には桃也と別れた事は話してある。昨日電話でした相談の結末を聞かれるだろうと覚悟すると、彼女は案の定直球でその事を聞いてきた。
「それで、指輪は処分できたの?」
「それが……」
すぐそこに立っている護兵に背を向けて、朱羽はそっと声のボリュームを落とす。恐らく聞こえてしまっているだろうが、彼は気付かないフリをしてただじっと外を見つめていた。
京子は空の左手を持ち上げて、今朝の事を朱羽に話す。
「悩んだんだけど。まだ捨てられなかった」
「へぇ。あんなに騒いでたから、もうとっくに手放したと思ったけど」
「私もそのつもりだったんだけどね」
「いいんじゃない? 京子がそうしたいと思うなら、タイミングはいずれ来るわよ」
「そうだといいけど」
「言ったでしょ? 京子は頑張ったって。たくさん悩んだ京子が出した答えなんだもの、後ろめたさなんて感じないで堂々としてればいいのよ」
朱羽が今のタイミングで偶然ここに居合わせたとは思えない。
「ありがとね、朱羽」
「何がよ。貴女に会いに来たわけじゃないわ。たまたまよ」
その少し不器用な優しさが身に染みて、思わず抱き付いてしまいそうになった。
「ところで朱羽、今日夕方にマサさんが本部に来るの知ってた?」
「えっ、そうなの?」
前向きな彼女だが、やはりまだマサの事になると動揺してしまうらしい。
「どうしよう京子。忘れた資料届けにまた来るって、オジサンたちに言っちゃったのよ」
「いいよ。今日はそんなに忙しくないから、私が後で事務所に取りに行ってあげる」
「ホント? ありがとう」
朱羽は京子の右手を両手でぎゅうっと握り締める。
一つの恋の終わりは京子にとっても朱羽にとっても、きれいさっぱり片付けるにはもう少し時間が必要だった。
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