壁一面に鉄の装甲が張られたアルガスから出てきた男が、マサに気付いてやってきた。
「雅敏、後は頼んだぞ」
「おぅ。ノブさんも早く下に潜ってくれよ」
彼は近所にある工場の若社長で、武田信治という四十過ぎの男だ。
マサがアルガスに来た頃からの馴染みで、飲み友達らしい。彼は前期から連続でこの地区の町内会長を務めていた。
「助かるぜ、ノブさん。ノブさんのお陰で予定より早く避難できた」
「お前と俺の仲じゃねぇか。それより戦いになるんだろ、勝ち目はあるのか?」
興奮気味に聞いてくるノブに、マサは「どうだろうな」と答えを濁す。冗談でも「ある」とは言わない彼は、いつだって冷静だ。
門を潜るノブを見送って、京子はマサを振り向く。
「他の支部からも応援が来るんだよね?」
電話で彰人のことを話した時に、応援要請を提案した。全国的に見ても人数の少ないキーダーだが、何人かでも来てもらえれば戦力が大きくプラスになるだろう。
しかしマサの表情は険しかった。
「そのことなんだが。少し前に全支部へ爆破テロの予告がファックスされてな。キーダーは管轄支部の護りに徹しろって指示が回っちまったんだ」
「爆破テロって! 本当だったの?」
駅で警備員に盾突いていた男がそんなことを言っていたが、京子は避難を促すための口実だと思っていた。
「彰人くんのお父さんから? じゃあ、応援は来ないってこと?」
「あぁ。送り主は不明だが、そういう事なんだろう。一応、敵からの宣戦布告っつうことで避難の拡大を要請したが、それも全く取り合ってもらえんかった」
「攪乱させてきてるってこと?」
「相手が上手だってことだ。キーダーと国の関係が良く分かってるじゃねぇか。上の命令は絶対だ。だから、ここは爺さんとお前らの三人でやるしかない」
敵は二人だけだと言うのに不安ばかりが募るのは、相手が彰人だからだろうか。
京子はマサの背後に聳えるアルガスを見上げる。
四階建ての巨大な建物が、硬い防御壁に包まれている。自分なら全て破壊するのにどれだけ時間がかかるだろうか。
雪原で見た平野の力が脳裏に蘇り、京子は手に滲んだ汗を握り締めた。
「バスクの力は大きすぎる。一発で終わるなんて事はないの?」
あれだけの力なら一発とは言わずとも数発でこの建物が消えてしまうかもしれない。
「そうだな。二人も居ると想像より遥かにでかいぞ。けど、どうだろうな。破壊だけが目的なら、それもアリかもしれねぇが、目的は復讐だっつったんだろ? アルガスの核を狙うのかもしれないぞ」
「核って、ここに核施設があるんですか?」
驚愕する綾斗に、マサが慌てて「違う違う」と手を振った。
「ここの地下に銀環の制御室があるんだ」
「キーダーが付けてる銀環は、全部ここで管理されてるの」
「ここで、ですか」
京子が自分の銀環を掴みながら頷くと、綾斗は眉を上げてアルガスの底へと視線を落とした。
「銀環ってのはキーダーの持つ本来の力を押さえつけてるんだ。生まれた時から無意識に拘束されてる力が制御を失ったらどうなると思う?」
「どうなるって?」
「自分でやってこなかったツケが回ってくんだよ。制御不能、つまりバスクの暴走と同じだ」
『大晦日の白雪』と同じことがキーダーの数だけ起こり得るかもしれないという事らしい。
「まさか……そんな」
「キーダーの力でトールにするのとは訳が違うぜ。戦闘が始まれば俺達も地下のシェルターに入る。だからお前たちは自分等の命と核を守るためなら、思い切りやっていいからな?」
「了解」と答えて、京子は綾斗と目を見合わせる。レンズの奥の彼の瞳が少しだけ不安そうに瞬いた。
マサはふぅと溜息を漏らし、右手を腰に当てる。
「俺にも力があれば良かったんだけど、こればっかりはな。だから、できることを全力でやらせてもらうぜ」
「ありがとう、マサさん」
「いつ来るかわからねぇが、索敵はレーダーに任せて今は休めるだけ休んどけよ」
敷地の二箇所に立つ鉄塔に、巨大なラッパ型のレーダーが取り付けられている。普段から起動しているらしいが、一度も非常時を告げたことはない。
「京子。お前は損な恋愛ばっかしてるな」
「そんなことないよ。桃也も彰人くんのことも、後悔はしてないもん」
心からそう思う。過去があるから、今の自分がいる。そして全てが終われば桃也に会えると信じて。
だから、死ぬわけにはいかない。
「それより朱羽は呼ばないの? 彼女も一応本部所属のキーダーだけど?」
「訓練してないアイツを呼べるかよ」
「マサさんまで特別扱い? そんなだから、朱羽に諦めがつかないんだよ」
マサへの恋心をこじらせた朱羽は『戦いたくない』という理由でアルガスを離れているが、肩書は本部所属のキーダーのままだ。彼女がもし戦闘に加われば、上官たちは大喜びして彼女をここへ迎え入れるだろう。
事務所の閉鎖をも否めない事態に、マサは後ろめたさを感じてしまうのかもしれない。
「いいよ。私が朱羽の分も戦うから」
「ありがとな」
そう言ってマサは京子の頭にポンと掌を乗せた。
ぐしゃりと撫でられる感触を、京子は懐かしいと思った。昔朱羽と一緒に同じことをされて「セクハラです」と非難したことがあるけれど、今は何だか温かく感じる。
静まり返った町に八時のメロディが響く中、京子はマサの激励に敬礼を返し、綾斗と建物の中へ入った。
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