戦いを控えたアルガスでは、食堂のメニューにトンカツが入っている事が多い。『勝つ』に絡めた願掛けで、食堂長である平次の計らいだ。
廊下に漂う揚げ物とカレーの匂いに食欲をそそられながら、京子は医務室へと向かう。
『軽く』やるはずだった綾斗との訓練がつい本気モードになってしまい、床を滑り込んだ膝に擦り傷を作ってしまった。あの時一瞬眩暈がしたのは、久志の忠告を軽んじてしまったからだろう。
全力で行かなければ負けてしまう──そんなライバル心が剥き出しになって、無理するなという言葉も体力温存という心構えも頭から抜けてしまった。
それでも負けたのは京子だ。まだ久志の所へ行っていない綾斗に勝てなかった。
「くそぉ」とついボヤいてしまう。
傷は大した事ないものの、『消毒くらいはしておいて』という彼に従って、京子は息抜きがてら医務室のドアを叩いた。
「颯太さん、いますか?」
「どうぞ」という声に中へ入ると、ソファの横には見慣れないものが鎮座していた。
「あれ、テレビだ」
「俺の暇潰しと情報収集を兼ねてな。事務所に言ったら許可貰えたんだ」
30インチ程だろうか。前に来た時はなかった筈だ。
白衣姿の颯太は腕組みをしていた手を伸ばして、リモコンでボリュームを下げる。テレビは夕方のニュースの真っ最中だ。
「アルガス全体がピリピリしてて、食堂のテレビの前に居座ってる雰囲気じゃねぇんだよ」
「確かに最近ずっと慌ただしいですよね」
「だろ? それで、京子ちゃんは転んだのか?」
京子の膝を一瞥して、颯太は棚から消毒液を取り出した。
「そこ座って」と言われるままに京子はソファの端に腰を下ろし、スカートを上にずらす。
「さっきホールで動いてたら、つい……」
「ついじゃねぇよ。骨でも折ったらどうすんの? ま、それくらいで済んで良かったけどさ」
容赦なく塗りつけられた消毒液が傷口に染みる。「ひえっ」と思わず声を上げると、颯太は嬉しそうに脱脂綿を弾ませた。
「その調子だとまだ特に動きはねぇか」
「最初のFAXだけです」
「こっちも平和だ。どっかで爆発騒ぎでも起こして、挑発してくるかと思ってんだけどな」
「可能性はありますよね。けど予告は明日なんで、まだなのかも」
「そうだな」
颯太は「終わり」と道具を片付けて、机の上に置いてあったペットボトルのお茶を飲んだ。京子はアルコールで濡れた膝を手でパタパタと仰ぐ。
「颯太さんがキーダーだった頃も、襲撃事件とかあったんですか?」
「俺ん時はなかったな。俺が居たのなんて数年だし。大きい出来事と言えば、隕石が落ちて来たくらいだぜ」
幽閉されていたキーダーが外に出るきっかけとなった『アルガス解放』へ繋がる事件だ。隕石の落下を大舎卿が回避させ、悪魔だ何だと言われたキーダーが一躍ヒーローとなった。
「それだけで十分ですね──って。あれ?」
テレビの画面が天気予報から再びニュースへと変わる。淡々と事を告げるトーンに振り向くと、若い男性アナウンサーが都内の失踪事件について語っていた。
都内でここ一週間ほど、家に帰らないという若者の届け出が急増したという。
「何か物騒ですね」
「そうだな。理由はそれぞれなんだろうけどよ、家に帰れないガキが夜の街にたむろしてるって前に話題になってたぜ? 何やってんだろうな」
「この一週間で急増、ってのが気になりますね。若い子たちが中心の抗争事件があったってニュースも見たばかりですよ。まさか、ホルスが関わってたりして」
「ん?」
それは単に京子の妄想に過ぎない。もしそうなら怖いなと考えただけだ。
途端に表情を一変させた颯太に、京子は「まさか」と手を振る。
「言ってみただけですよ?」
「いや──」
けれど颯太が話に踏み込もうとした瞬間、会話を割るように「遅れてすみません」と制服姿の銀次が部屋に飛び込んで来た。そういえばホルスからの告知FAXが来る前に、彼から今日本部に来ると京子のスマホにメールが来ていた。
「あれ、京子さんも居たんですね。日直のヤツが学校サボって行方不明だとかで、急遽俺に当番回ってきたんですよ」
「行方不明──?」
直前に話していた話題と内容が被って、京子は颯太と顔を見合わせる。
颯太は苦笑紛れに「あぁ」と確信の声を上げた。
「ビンゴなんじゃねぇの」
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