特に急ぎの用事もない土曜の出勤日、京子は早めにアルガスへ来て他のメンバーと朝のトレーニングを済ませた。
土日の出勤は交代制で、今日は珍しく美弦と女子二人でのシフトになっている。
綾斗と修司は流行りの映画を見に行くと言って、朝食も食べないままシャワーだけ済ませて仲良く出掛けてしまった。
午前中はみっちりと基礎鍛錬をやって、午後はのんびりしようと考えながら食堂で朝食後のお茶をすすっていると、部屋の端にある休憩スペースで美弦が前のめりにテレビ画面を睨みつけているのが目に入った。
食堂に入った時は姿が見えなかったが、いつの間に来ていたのだろう。
「美弦、ご飯食べた?」
食器のトレイを返却口へ下げて声を掛けると、ココアの入った紙コップを両手で握り締めた美弦が「京子さん」と振り向いた。
65インチの大きなテレビはちょうどCMに変わって、彼女は一息つくように低い背もたれに身体を預ける。
「はい。テレビ見たかったんで、ちょっとかきこんじゃいましたけど」
「へぇ。真剣に見てたけど、何やってたの?」
「それは──あ、そうだ京子さん、ウサギのぬいぐるみ持ってましたよね? 良かったら今日だけ貸して貰えませんか?」
言い掛けた答えを自分で遮って、美弦は突然そんな事を言う。
土曜の朝食タイムは人も少なく、テレビの周りは二人の貸し切り状態だ。
「うさぎ?」と京子は意味が分からないまま彼女の横に腰を下ろした。
「今日の牡牛座は、うさぎのぬいぐるみがラッキーアイテムなんだそうです」
「占いの話? そっか、美弦ってゴールデンウィーク明けの誕生日だったもんね」
日付までは把握していないが、少し前にプレゼント代わりのケーキバイキングへ行った。
「そうなんですよ。星座の順位が最下位だったんで、あやかろうと思って」
「それは気になっちゃうね。ずっと部屋に置いてるから汚れとかあるかもしれないけど、今日だけ貸してあげる」
「やった、ありがとうございます!」
美弦は笑顔を広げてココアをゴクゴクと飲む。
京子の持っている『うさぎのぬいぐるみ』は自室にある大きな抱き枕で、昔『部屋が殺風景だから』と言ってセナに貰ったものだ。
「美弦って、普段怒ってばっかりいるイメージなのに、恋愛漫画よく読んでるし占いも好きだなんて乙女なんだね」
「別に怒りたくて怒ってるわけじゃないですよ。乙女なんて言わないで下さい! 京子さんこそ興味ないんですか?」
「占い? 昔は──気にしてたよ。ジンクスとかも色々ね。けど、最近はそうでもないかな」
頭に過去の風景が過って、京子は恥ずかしい気持ちを笑って誤魔化す。
美弦は「ホントですか」と興味津々だ。
「京子さんの『昔』って事は、相手は彰人さんって事ですか?」
「ま、まぁね」
京子は声のトーンを落として人差し指をピッと立てた。
少ないとはいえ、食堂ではまだ昼食中の施設員が何人もいる。それに声も良く響いた。
昔、幼馴染みの知恵に唆されて、占いやら待ち伏せやら色んな事をしたのは今では良い思い出だと思っている。結局恋人同士にはなれなかったが、彰人と一緒に仕事する事になるなんて想像もしていなかった結末だ。
「ちょっと待って。この展開ってもしかして、私の今日の運勢は大波乱なんじゃないの?」
「京子さんは山羊座ですよね。7位でしたよ! 真ん中より下だけど、最下位の私よりは全然良いと思います!」
「微妙な順位……」
「因みに、1位が天秤座でした。誰か居たかな」
自分以外の順位まで把握してるなんて尊敬してしまう。
天秤座、と聞いて京子は一瞬首を傾げて彼の名前を口にした。
「桃也が天秤座だ」
「へぇ、桃也さんってその頃なんだ。京子さん、ちゃんと覚えてるんですね」
「まぁ──そりぁね」
最近はもう占いなんて殆ど気にしなくなってしまったが、好きになった相手の誕生日くらいは忘れようにも忘れられない。
「桃也は10月生まれの天秤座で、綾斗は3月生まれの牡羊座。それと、彰人くんは11月生まれの蠍座だよ」
半ば開き直ってそんな話をする。
「京子さんも乙女ですね。そうだ、待ってて下さい!」
美弦がハッと立ち上がって、カップを片手にカウンターへ駆けていく。そして空の手にもう一つのカップを握り締めて戻って来た。
美弦のカップも中身が足されていて、同じココアの入ったカップを京子に差し出す。食堂長の平次の計らいか、上には小さなマシュマロがポコポコと浮いていた。
「A型のラッキーメニューはココアなんです。一緒に飲みましょ、京子さんの昔話もっと聞かせて下さい」
そういえば血液型は美弦も京子もA型だ。
夏にホットのココアは少し熱い気がしたが、ほんのりとした甘さが優しい。
「朝から話す事でもないような気がするけど、いいよ。けど綾斗にはナイショね」
「分かりました!」
中学時代の京子は彰人でいっぱいだった。
ここで話すことなんてどれもこれも一方的な片思いのエピソードでしかないが、懐かしい話におしゃべりが止まらなくなってしまう。
美弦は桃也との事は遠慮してあまり聞いてこないが、綾斗や彰人との事は深堀りして来る。彰人との事はきちんと過去になっている──それを彼女なりに感じているのかもしれない。
いつしか周りで施設員たちが聞き耳を立てていたなんて事には、全く気付くことが出来なかった。
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