「そういえば、この間力を使ったって言ってたけど、山に行った時の事?」
こちらを伺う京子の質問に暗い空を渡るヘリの光を思い出して、修司は身を強張らせた。
「バスクはよくやるんだよね。でも山には管理者が必ず居るし、ああいうのは良くないから。大体、あそこがアルガスの所有地だって知ってたの?」
「……はい」
何も知らずに連れて行かれたからと誤魔化すことはできなかった。
あの山がそうだと知って、帰る選択をしなかったからだ。
「もぅ。そんなにあの女を信用してたの?」
「……多分、そういう事なんだと思います」
律と二人きりだったらもう少し警戒しただろうか。あそこに第三者的な彰人が居たことで、気が緩んでしまったのかもしれない。
「意地悪なこと聞くようだけど、私の仕事だと思って許して。あの日は関西の支部から戻るところだったの。まさかあんな派手にやってるとはね。私は気配感じ取るの苦手だけど、それでもすぐ分かったよ」
「えっと……」
じっと見つめる京子の視線から逃れて、修司は出し掛けた言葉を飲み込んだ。
アルガスに事情は筒抜けらしい。
あの時やってきたヘリの恐怖が一瞬強く下りてきて、修司は膝を抱え込んだ。
「あれは京子さんだったってことですか」
「そういう事」
ヘリの接近を敵の襲撃だと感じて命の危機さえ垣間見たが、その相手は目の前で穏やかに微笑む京子だという。
敵か味方かを判断しろよ――そう自分に言い聞かせる。
「すみません」と絞り出す修司に京子が「うん」と返事して、
「あんな所で勝手に力を使うのは良くないよ。あれだけでも抑止力にはなったでしょ?」
「怖くてチビったんじゃない?」
「んなワケないだろ!」
ニヤリと笑う美弦に反抗するが、近い状態だったことは否定できなかった。
京子はそれ以上の追及はせず、今度は意外な人物の話題を口にする。
「全く、師匠が師匠なら弟子も弟子だね。修司は平野さんのトコに居たんだって?」
「えっ……」
「アンタがここに来る事になって、色々調べさせて貰ったのよ」
美弦は「バラしてないし」と口を動かす。
最早隠せることなど何もない丸裸状態だ。
「なら、平野さんの店の前で倒れたキーダーってのは、やっぱり京子さんだったんですか?」
「そんなこと聞いてたの?」
ずっと疑問に思っていた事を尋ねると、京子は「ちょっと恥ずかしいね」と肩をすくめ、ケラケラと笑い出した。
「あの頃は東北にキーダーが不在だったから、能力沙汰に関してはウチが管轄を広げて受け持ってたの。入りたてだった綾斗と行ったんだけど、平野さんほんと頑固で大変だったんだから。すぐは無理だけど、平野さんにはそのうち会えるよ。同じキーダーなんだから」
「はい」
京子は美弦と同じことを言うと「そろそろ別の事しようか」と立ち上がって制服を整えた。
ポケットを探った京子は、真っ赤なゴム風船を取り出しておもむろに膨らませる。修司は何をするのかと思ったが、美弦も眉を寄せたまま首を傾げていた。
何の変哲もない風船が顔くらいの大きさになって、京子は「これくらいかな」と口を縛る。
「まぁ、ゲームみたいなものだよ」
ふわりと空中に投げた風船は、ヘリウムガスを入れたかのようにぐんぐんと上昇し、やがて天井に貼り付いた。
アルガスでは二階分だが、民家なら四階ほどの高さだろうか。首の後ろが痛いくらいに天井を仰ぎ、修司は遠くの赤い丸に目を凝らした。
「あれを割るのが今日の課題。私が力で押さえておくから、力で割っても、落としてから割っても好きにしていいよ」
「えっ? そんなこと俺にはまだ……」
修司はずっと握っていた趙馬刀をズボンのポケットに突っ込んで、手を横に振った。
銀環の効果で、ただでさえ未熟な力が抑制されているというのに、あんな遠くのものを操るなんて到底無理だと思ってしまう。
「そんなに難しく考えなくていいよ。ちょっと動かせば落ちて来るって。美弦はどう?」
美弦は顔面に緊張を貼りつけて、風船を見上げたまま首を傾ける。
そんな時、背後でカチリとペンをノックする音がした。
それまでなかった気配が突然現れて、修司はドキリとする。
背中を振り向こうと試みたが、相手を確認する直前でパンと頭上で高い音が鳴り、視線が上へと引き上げられた。
割れた風船が力を失って宙を舞い降りてくる。同時にカツンと叩き付けられたペンが、くるくると床を滑って後方へと走っていった。
余りにも一瞬の出来事で、修司にはきちんと状況を把握することが出来なかった。
ポタリと落ちた赤い風船から顔を起こすと、
「桃也――」
戸惑うように息をのんだ京子が、修司の後ろを一点に見つめたまま緩い笑顔を滲ませた。
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