「そろそろ起きろよ」
微睡んだ意識をこじ開けようとするのは、松本の声だ。
住宅街の一角にあるコンクリート打ちっぱなしのマンション、その二階に忍の部屋があった。少し年数は経っているが流行りのリノベーション物件で、中は外観の何倍も新しく見える。
ここに松本以外の誰かを入れた事はない。それでも今回は半年ぶりだった。
昨夜急に「泊めてくれ」と現れて、ソファに転がった所までは覚えている。
ここ暫く薬を断たせていたせいで、松本の体調も以前のように戻っているように見えた。
夏の初めに渡した五錠が最後。戦いに備えて一度身体をリセットさせようというのが狙いだが、既に中身はボロボロで、しばしば血を吐く事もあった。
だからきっと、ここに来た理由もそれだろう。
「ちゃんと眠れなかったのか? ぼんやりして」
「まぁね」
先日、春隆に会ってからというもの、夢見の悪い日が続いている。
内容なんて殆ど覚えていないけれど、昨日の夢は頭で繰り返すことが出来る程に残っていた。忍の記憶を抉るような中身だからだ。
「洋の夢を見たんだ。長すぎて疲れたよ」
忍は寝間着代わりの下着に洗いたての青いシャツを羽織って、「ほらよ」と渡された買い置きの缶コーヒーの栓を抜いた。
「夢?」
「あぁ、懐かしかった」
忍はソファに身体を沈み込ませて目を閉じると、明け方の夢を振り返る。
──『凄いね、洋は。薬を作れちゃうなんて、お医者さんみたいだ!』
──『そんな事はないです。分かる事、出来る事をしているだけですよ』
──『それが凄いって言ってるんだよ。俺は要らない子だから、俺だけに出来る何かがあれば、もっと……』
まだ能力者だと自覚する前──春隆に怪我を負わせる事件以前の記憶だ。
父と母は養子の忍に優しかったが、親戚連中が陰で噂を立てていたのは知っている。それでもまだ平和だと思えた。
家に帰れば居場所はあったし、こっそり会社へ遊びに行く事も多かった。研究室には高橋が一人で居る事も多く、入り込んでは話をしていた。
高橋は温厚な人で、開発チームでは若いのにリーダーを務めている。
忍がバスクだという事が発覚した後も、その話を打ち明けた時も、高橋だけは前と変わらず接してくれた。嬉しくてたまらなかった。
だから、彼が開発したカロという製剤に強い発がん性があると発覚し、追い詰められた高橋がビルから飛び降りそうになった時、忍は初めて自らの意思で力を使ったのだ。
──『洋、死んじゃ駄目だよ。死ぬくらいだったら俺と一緒に居て!』
そのすぐ後に松本と知り合って、ホルスが結成された。
「その話、100回くらい聞いたわ」
松本は縛る前の長い髪をぐしゃぐしゃと手で梳いて、大きく欠伸をする。
「そういや、ホルスってどんな意味なんだ?」
コーヒーを啜りながら今更のように聞いて来る松本に、忍は「言わなかったっけ」と立ち上がり、書棚から一冊の本を手に取った。
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