スラッシュ/

キーダー(能力者)田母神京子の選択
栗栖蛍
栗栖蛍

236 秘密の特訓

公開日時: 2024年7月4日(木) 08:50
文字数:1,402

 地上に出ると、まだ午後の一時を過ぎたばかりだった。

 午前診療の患者が会計のあるロビーにごった返している。


 さっき下りたタクシープールに並び、綾斗あやとはあまりにも平和な日常の風景をぼんやりと見渡した。つい5分前に居た地下の空気を異世界か何かのように感じてしまう。

 そんな心境をみ取ってか、隣で彰人あきひとがクスリと笑った。


「地下があんなことになってるなんて、誰も思わないだろうね」

「ここの職員は知ってるんですか?」

「理事長とタメ口で話せるくらいの人間だけかな」

「それはだいぶ限られますね。けど本当に連れて来て貰って良かったです。ありがとうございました」


 綾斗は改めて頭を下げた。

 限られた時間の中で、りつは敵であることを割り切って空間隔離くうかんかくりの話をしてくれた。

 質問する隙もない程に詰め込まれた内容は、綾斗にとって今までの訓練をくつがえすものだ。自己流の限界を突き付けられた気分だった。

 音として聞いた情報を、早く試してみたいと思う。


「僕も様子見に来るついでだったし、構わないよ。さっきはああ言ったけど、彼女に戦いの話をしたのは僕と桃也とうやの意向なんだ。律はいつになっても高橋の呪縛を抜けられないからさ」

「呪縛……? けど本当に情報を置いて俺たちがここを離れてもいいんですか? 彼女は──」

「ホルスだよ。けど、構わない」


 話し終える前に彰人が答える。


「彼女は敵だけど、無関係な人間を巻き込みたいなんて思う人じゃないよ。ここの護兵ごへいにも彼女が逃げたら追わなくていいって言ってある。空間隔離を大事だと言い切れるあの性格に賭けてるって所かな。こっちの人数に余裕がないってのも理由だけどね」

「賭け──ですか。けど確かにそうですよね」


 アルガスは慢性的にキーダー不足だ。やよいと佳祐けいすけを失ったダメージは大きい。

 だから数の話をされるとそれ以上は言えなかった。


「逆にキーダーを置いてしまえば戦いは避けられないでしょ? 無駄な犠牲なんて出してもマスコミが喜ぶだけだから」

「逃がすって事ですか。彼女は来ると思いますか?」

「来て貰わないと困るんだよ」


 進んだ列を詰めて楽しそうに語る彰人は、最初から彼女と戦うつもりだったのかもしれない。


「敵も大分強そうだからさ、僕たちも相当本気で行かないとね」

「ですね」


 バーサーカーの力は強い。けれどそれは一瞬だ。

 百の力を使ってしまえば、その後の戦力にはならない。どこまで温存するか、どう使うか──その可能性を増やすためにここへ来た。


 ようやく順番が来て、滑り込んだタクシーの後部座席に乗り込む。


「国道を北へお願いします。ちょっと遠いんで、誘導させて下さい」


 てっきり駅へ戻るのかと思ったが、彰人は慣れた様子で別の行き先を告げていく。走り出したタクシーが向かうのは、駅とは逆の方向だ。


「どこ行くんですか?」

「訓練場だよ。やりたいって思ったでしょ?」

「はい!」


 顔に出てしまっていたのか、心を読み取られたのか。綾斗は飛び付くように返事する。

 20分程走った先に現れたのは、アルガスの所有する開けた平面の土地だ。

 そこで彰人と秘密の特訓をした。


 律からの助言を叩き込んで、空間隔離を生成する──思うようにはいかなかったけれど、今まで一人でやっていたより10倍は前に進めた実感があった。


「じゃあ、僕はここまで。綾斗くんならこの先を繋げられる筈だよ。ここからが能力の差だからね、本番は楽しみにしてるよ」


 すっかり暗くなった空の下、帰路の新幹線で彰人が満足そうに微笑んだ。 







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