「僕、昔好きな女の子が居たんだ」
屋上のフェンスに張り付いた久志は屈託のない笑顔を空へ向けて、まさかの恋愛話を始めた。
あまりにも唐突で、桃也は思わず「はい?」と素っ頓狂な声で聞き返してしまう。
技術部所属のキーダーで機械オタクの久志が綾斗を気に入っているという噂を聞いた事はあるが、自身の女性関係については一切耳にしたことが無い。
強めに吹いた風に困惑した頭が少しだけ冷静さを取り戻して、桃也は「すみません」と口を押さえた。彼は一応先輩だ。
「まぁ驚くよね。自分から誰かに話した事なんてないし」
「……驚きました」
久志は辺りの様子をもう一度確認して、フェンスの上に両肘をついた。
「桃也の事、最初に会った時から生意気な奴だと思ってたけどさ、他人とは思えないんだよね」
「……俺が久志さんにですか?」
「僕なりの解釈だから、間違ってたら謝るけど」
桃也が久志と初めて会ったのは、『大晦日の白雪』の少し後だ。短い期間だったが、北陸支部がトップシークレットとして桃也を預かった。銀環をしない桃也に、能力者としての基礎的なものを学ばせるためだ。
「だからちょっと話させて」
戦闘の音が止んだタイミングだった。
暫く動き通しだった事もあり、休憩と割り切って「構いませんよ」とフェンス身体を預ける。潰れた豆だらけの手が、冷たい鉄にしみた。
「ありがと。結構長く付き合ってたんだよ。けど、相手に将来の事を聞かれた時、僕は彼女を選ばなかった」
「…………」
「今もたまに思い出すよ」
久志は遠い目を漂わせる。
「僕は集中すると周りが見えなくなるし、いつも仕事を優先してきた。仕事に没頭していられることが、楽しくて仕方ないんだ。自分の可能性を追い掛けたくて仕方ない──恋愛には向いてないよね」
「…………」
「仕事ばっかりする僕に「いいよいいよ」って言ってくれてさ、馬鹿みたいに真に受けてた」
「何だか胃の痛む話ですね」
どうして久志がその話をしたか分かる。まるで自分の事を言われているようで、桃也は鳩尾をぐっと押さえた。
「似てるなって思うでしょ?」
「はい」
「片方に重点を置くと、もう片方は疎かになるもんね。どっちもなんて無理だし、我慢なんてして欲しくない。そう思ったら、もう恋人だなんて言えなかった」
京子と別れた自分を久志に重ねて、桃也は一つ質問する。
「嫌いになったから別れた訳じゃないんですよね?」
「勿論。今も好きだよ。ただ、昔の『好き』とはちょっと違うかな」
「時間がそうしてくれますか?」
「そうだと思う」
久志の言葉にホッとしてしまう。
京子と別れた事に後悔はない。ただ、好きな気持ちのまま別れた事に少しだけ罪悪感を感じていたのは事実だ。
「俺、結構久志さんと似てるのかもしれません」
改めてそれを実感する。
久志は「でしょ?」と笑って、タンと桃也の背を叩いた。
「誕生日おめでとう、桃也」
頭の中に京子の歌が流れて、桃也は「ありがとうございます」と苦笑した。
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