忍との戦いが終わり、キーダーがそれぞれの場所へ帰っていく。
他支部在籍の平野や曳地は当日のうちに発ち、現場の後処理は施設員たちに引き渡された。
戦いの影響は少なからず残っているが、数日経って徐々に元通りの生活を取り戻しつつある。
「気が抜けちゃうわね」
空になった昼食のトレイの横にぺたりと頬を落として、美弦は窓際の席から空を見上げた。ここ暫く曇りの日が続いていたが、久しぶりの晴れ間に頭がボーっとしてしまう。
「らしくねぇな。さっきホールに居た時は、朱羽さん相手に張り切ってたじゃねぇかよ」
「真面目にやらないと命に関わるのよ。朱羽さん、あんなに強いと思わなかった」
「まぁ俺も油断してたし」
向かいの席で「ご馳走様」と手を合わせる修司に、美弦は「でしょ?」と食い付く。
借りていた事務所を年末に閉鎖することが決まって、昨日から朱羽が本部でのトレーニングに通うようになった。能力に対してコンプレックスを抱いていると言うが、ブランクなど全く感じさせない動きに周りは必至だ。
「午後はデスクワークなんだろ? のんびりできるんじゃねぇの?」
「そう言う訳にも行かないわ。修司は今日も龍之介のトコ行くの?」
「あぁ。こんな時期から本気出しても悪足掻きにしかならねぇけど、やれることはやっておかないとな」
先延ばしになっていた一年間の訓練を保留にして、修司が都内の大学へ進学を許可されたのは戦いが終わってすぐの事だ。修司が桃也に直談判した事が影響しているらしい。
「一緒に勉強するのは良いけど、アンタだけ2浪なんて事にはならないようにね」
「それは……勿論」
修司が側にいてくれるのは嬉しいと思うのに、その決定の裏に別の事情がある事は分かっている。
アルガスの本部が大きく動く時だ。
「京子さん!」
食堂の横のある自動販売機のコーナーにその姿を見つけて、修司がにこやかに手を振った。
京子は買ったばかりのコーヒーを手に、「お疲れ」と席までやってくる。薄手のコートを羽織った私服姿は、ちょうど出掛ける所だったらしい。
「綾斗さんのトコですか?」
「うん。明日退院だから、今日で最後かな」
ホルスとの戦いでバーサーカーとして戦った綾斗が、体調を鑑みて病院での療養に入っていた。本人は平気だと言うが、颯太の強い意向で強制的に入れられたらしい。
「なら良かった! 一昨日お見舞いに行った時は、退屈そうでしたよ」
「もう毎日だよ。じっとしてろなんて酷だよね」
肩を竦めるように笑って、京子が「夕方には戻るね」と去っていく。その背中が廊下に消えるのを待って、美弦は大きく溜息をついた。
「京子さん、まだ知らないんだよな?」
「多分──」
ただでさえキーダーが多く在籍する本部に、異動命令が出るだろうと囁かれ始めていたのは佳祐が亡くなった後の事だ。
綾斗が九州に行く。それを聞いて、京子はどうするのだろうか──
☆
病院に着いて、ロビーの様子がいつもと違う事に気付いた。
辺りがどこか騒めいていて、その中心に思わぬ人物を見つける。京子は「ちょっと」と壁際の二人に駆け寄った。
「そんな格好で何してるの? 事件でもあった?」
「京子」
桃也と彰人だ。
ただでさえ目立つ二人がキーダーの制服姿で立っていれば、目を引くのも無理はない。それでも二人は 周囲の目など全く気にもしない様子で「よぉ」と京子を迎えた。
「仕事の途中で寄ったんだよ。任務へ戻る前に綾斗くんに挨拶しなきゃって桃也が言い出したんだ」
「へぇ」
「別に、おかしい事言ってねぇだろ。仕事だからな?」
クスリと笑う彰人に、桃也が「うるせぇ」と嚙みついた。
そういえば二人に会うのは二日ぶりだ。
監察員、サード、次期長官という特別な肩書の付いた二人が居ない事には何の疑問も抱かない。ただ綾斗に挨拶という理由は少々意外な気がした。
「上にはもう行って来たの?」
「あぁ。お前にも会えて良かった。また来週顔出すけど、その後は暫く海外だからな」
「全然落ち着かないね。大変そうだけど頑張って」
小さい頃アメリカに住んでいた桃也は何かと長官に重宝されて、外の仕事を任されている。
「あぁ。けど、大変だけど嫌じゃねぇから」
桃也がふと天井を仰いだ。妙に神妙な横顔が、ギャラリーの女子の視線を幾つも釘付けにしている。
「桃也……?」
「さっき綾斗の部屋に行ったら『大晦日の白雪』の慰霊塔が見えたんだ」
「…………」
「昔はあれを見る度に辛い記憶ばっかり思い出して、いつか壊したいって思ってた。なのに今はあのままで良いと思ってる。人間の気持ちって不思議だよな? あんな記憶でも忘れたくねぇって思うんだからよ」
寂しげに笑う桃也が、彰人を一瞥する。彰人は何故か『しょうがないな』と言わんばかりの顔でゆっくりと頷いた。
桃也が言い辛そうに唇を噛んで、少し躊躇うように口を開く。
「なぁ京子、綾斗に九州への異動命令が出てる」
「──九州? 異動……って……」
「九州支部に配属されるって事だよ」
きっぱりと言い切る返事に、京子は目を見開いた。
初耳だ。綾斗もそんな素振り一度も見せてはいない。
「僕も今日知ったんだよ。本人に言わせてあげれば良いのに、桃也はせっかちなんだから」
「長引かせたアイツが悪いんだ」
呆れ顔の彰人に、桃也はフンと鼻を鳴らす。
佳祐を失った九州支部に誰が入るかという話は何度か噂で耳にした事はあったが、京子はあまり深く考えていなかった。
「綾斗にならちゃんと支部を任せられるだろ? けど、初めての事ばかりだし、お前がキーダーとして側でフォローしてやれよ」
「私……が?」
「あぁ。長官もそれで良いって言ってくれてる」
桃也が同じように九州へ行くと言ったのは、つい一年前の事だ。
今度は綾斗が遠い場所へ行くと聞いて、けれどあの時のような不安はない。不思議と前向きに考えることが出来た。
「なら私も一緒に行きたい」
思いのままを告げると、二人は「そう言うと思った」と口を揃える。
「幸せになれよ」
「ありがとう、桃也。彰人くんも!」
笑顔の二人に見送られて、京子はエレベーターへ乗り込んだ。
☆
郡山で新幹線を下りると、空気が一変した。
寒かった筈の東京を恋しくなってしまうようなキンとした空気に全身が震え、京子は取り出したマフラーを首に巻き付ける。
「こっちってこんなに寒かったっけ」
「そりゃ東北なんだから仕方ないよ。前に来た時もこのくらいじゃなかった?」
綾斗と二人で来たのはもう何年も前の事で、その後の帰省も暖かい時期ばかりだった。
京子は「寒い」と白い息を吐きながら年末でごった返す駅を出て、タクシーに乗り込む。
綾斗の年明けからの異動が正式に決まり、京子も春に追う運びになった。今回はその報告を兼ねての帰省だ。
「だめだ、やっぱり緊張してきた」
「俺だって同じ。けど、辛い事なんて何もないって思えば全然平気だよ」
「綾斗……」
後部座席で触れた手を、京子はぎゅっと握り締める。
車窓に流れる見慣れた風景を眺めて、10分程で実家に着いた。
「ただいま」
横開きのガラス扉を開けると、父親の忠雄が「おかえり」と二人を迎える。
記憶より更に髪が薄くなっている気がするが、いつもと変わらない様子にホッとする。上に羽織った絣模様の袢纏は、昔誕生日に京子が贈ったものだ。
忠雄は綾斗を見て「おぉ」と笑む。前に来たのは綾斗がまだ高校生の頃だ。
「お久しぶりです」
「久しぶりだな。前見た時よりデカくなったんじゃないか? 今日も仕事か?」
忠雄の目が左手に留まったのが分かって、京子はきつく息を飲んだ。
「えっと……それはね」
その話を切り出そうとしたところで、忠雄は「気にするなよ」と手を振る。ニヤリと笑った目で、自信あり気に胸を叩いた。
「二度も同じ間違いするかよ。仕事の仲間だって事はちゃんと分かってんだよ」
──『お前たち、結婚の挨拶に来たんだろ?』
前回の記憶が懐かしくてたまらなかった。色々と混ざり合った感情が涙を誘って、京子は目の端を指で拭う。またこんな日が来るとは考えても居なかった事だ。
京子は綾斗と顔を見合わせて、「お父さん」と呼び掛けた。
「今日はね、間違いじゃないんだよ」
「……ん?」
忠雄は眉を顰めて二人を交互に見る。黙ってうなずいた京子に言葉の意味を理解して、「そうか」と目を細めた。
「おめでとう」
終
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