「颯太、メシ行こうぜ」
「ヤスさん!」
屋上で休憩中の颯太を食事に誘ってきたのは、先輩キーダーの加賀泰尚だ。
「行きます」と颯太は飛びつく。
自分に協調性がない事も分かっているし、周りと上手くやって行こうなんて気もないけれど、半年前にアルガスへ来てから彼と居る事は多かった。
「また手紙来たんだ。何ヶ月ぶりだ?」
「そんなに経っていませんよ。先月も届いたし、毎月です」
「へぇ。マメな家族なんだな」
ハナから受け取った手紙をテーブルの端に置くと、向かいに座った泰尚が「おっ」と興味を示す。
屋上から真っすぐに食堂へ下りてチョコレートは制服のポケットにねじ込んだが、手紙を入れるには少し狭かった。
颯太は昼のバラエティー番組を流す入口のテレビを一瞥して、豆腐がもりもりと入った味噌汁を啜る。
「有難いです。アルガスの外って、もう別の世界みたいな気がして。けど手紙の中では俺の良く知ってる人たちが普通に生活してる。同じ世界に生きてるんだなって実感できるんですよ」
「ふぅん。俺も最初の頃は母ちゃんから手紙来た事もあったけど、今はないな」
「……すみません」
「何謝ってるんだよ。しんみりすんなって、別に羨ましいなんて思ってないから」
泰尚は箸を持った手をぶんと振って、軽快に笑う。
「幾ら同じ世界に住んでたって、そこが交わる事はねぇんだ。異世界に居るのと同じだよ」
「…………」
「俺も母親も、諦めたって言うか……心に区切りをつけたんだと思う」
「ヤスさん……」
そんな日が自分にも訪れるのだろうか。
アルガスではテレビやラジオに制限はない。頼めば書籍も取り寄せることはできる。
颯太はあまり気にしていないが、外の情報には一切触れずにいるキーダーも多い。手紙も他のキーダーが受け取っている所を見た事なかった。
「ヤスさんは、外に出たいって思いますか?」
「何それ。お前は出たいの?」
「無理なのは分かってるんですけど……」
颯太は声を小さくして「はい」と答える。
泰尚は「そうか」と笑った。
「まぁ思うのは勝手だけどさ、大昔に一度だけ脱走したキーダーが居たって言うぜ」
「えっ、本当ですか?」
「死刑になったらしいけどな」
「──そういう事ですよね」
一瞬希望が見えた気がしたけれど、結局は突き落とされる。事実かどうかは不明だと言うが、逃げ出さないだけの抑止力には十分だった。
外へ出る一瞬の喜びを噛みしめたい訳じゃないのだ。リスクを犯してまで逃げるのならば、そこで生きることが大前提だ。
颯太が諦めがちに溜息をつくと、泰尚は「なぁ」と箸を置く。
「俺たちはこの国にとって嫌われる存在だろ? だからここに閉じ込められる。それなのにこんな贅沢な制服を着せられて、飯も結構美味い。何でだと思う?」
「何で……?」
アルガスに入れば奴隷のような生活を強いられるのだと思っていた。
実際はそこまでの地獄ではなかったが、外に出れないというたった一つの縛りが颯太にとって耐え難い苦痛である事に変わりはない。
何故──?
質問の答えを出せずにいると、泰尚は「分かんねぇ?」と笑う。
「逃亡者を出さない為だよ」
「あぁ……それなら納得できますね」
ここが本当の地獄なら、クーデターが起きるかもしれない。
キーダーがアルガスに入っているのは、ノーマルがその力を恐れている事に尽きる。
「それでも俺は、外に出たいです。未来も糞もないような俺には高望みだって分かってるんですけどね」
「外がそんなに良いのか。どんなトコだったかな……」
「覚えていないんですか?」
「忘れた訳じゃないけど、未練残すような生き方してこなかったんだよな」
「外はきっと素敵ですよ」
妹からの手紙に返事することはできないけれど、今は身内の無事を知れるだけで幸せだと思える。
「颯太は前向きだな。俺はここに骨を埋めるだろうって思ってる。だから、毎日をここで楽しく生きたいね」
────
そう言った泰尚の笑顔が今でも忘れられない。
30年前の事だ。
あれから少しして、外部調査への招集が掛かった。
真っ先に手を上げたのが泰尚だった。
彼が二度と帰って来なかった理由は、任務で死んだんだと聞いたままに理解していた。
空の棺桶を見て、その事実を受け入れたくなかったけれど、生きていて欲しいなんてのは自分の希望でしかない。朱羽や誠に聞いたのも、可能性に期待してしまう気持ちに終止符を打って欲しかったからだ。
10年、20年と過ぎて、まさかつい最近まで生きていたなんて思いもしなかった。
「ここに骨を埋めるんじゃなかったのかよ、ヤスさん……」
医務室の布団を屋上に干して、炭酸水片手に空を見上げる。
あの日と同じ、雲の多い真っ青な空が広がっていた。
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