アルガスを震撼させた襲撃事件から五日後、辞令が掲示板に貼りだされ、昼時の食堂はその話題で持ちきりだ。
昨日まで入院していた京子は、松葉杖を脇に挟んで人だかりへ潜り込む。
望みなんてないことは最初から分かっていた。
桃也がキーダーを選んだと知った瞬間からずっと抱えていた不安を、達筆な筆文字がそのままに突き付けて来る。頭の隅でほんの少し抱いていた期待に、現実が覆ることはなかったのだ。
やるせない気持ちを顔に貼りつけたまま呆然と紙を眺めていると、食堂からやってきたマサが湯飲みを手に横へ並んだ。
「なに寂しそうな顔してんだよ」
「だって……」
辞令の内容は、そこに書かれた四人の異動命令だ。全員が北陸支部、つまり久志とやよいのいる能登の訓練施設へ行くことになる。
マサはお茶を熱そうにすすりながら、
「バスクからの成り上がりは、一年間訓練を受けなきゃならねぇ。分かってたことだろ?」
「分かってたよ。分かってたから……」
バスクがキーダーを選んだ場合の、アルガスが決めた堅いルールだ。それを破るには、隕石を動かすほどのパワーが必要だろうという事は重々承知している。
「自分に都合のいいようにでも考えてたか? 桃也のことはちゃんと送ってやれよ?」
「……うん」
そこに『高峰桃也』の名前がある。
異動の話題なんてこの五日間で一度も出さなかった。口にしてしまったら現実になってしまいそうな気がしたからだ。
けれどそんな願掛け染みたことも虚しく、辞令は下ってしまった。
突然の別れに頭が全然納得してはくれない。
京子はもう一度紙に書かれた四人を順番に目で追って、最後にある『佐藤雅敏』の名前に本人を振り返った。
「マサさんのコレは、『大晦日の白雪』が原因?」
彼はトールで、他の三人とは理由が違う。明らかなペナルティだろう。
「まぁな。けど久志にずっと来いって言われてたんだ。アイツ、俺の消えた力に興味があるんだと。桃也のこともあるし、それに紐付けて新人教育もできるだろって呼ばれたんだよ」
キーダーでありながら技術員の久志が、同期のマサを手ぐすねを引いて待っている様子が目に浮かんで、京子は思わずクスリと笑った。
「こんなんで許してもらえるなんて、アルガスも太っ腹だろ?」
「けど、マサさんは本部に居るのが当たり前だと思ってた。ちょっと寂しいな」
「一生の別れでもないんだから気にすんなよ」
『大晦日の白雪』の真実を隠蔽しようとしたマサへのお咎めと考えると、確かに太っ腹な処分かもしれない。
マサが行くと知って、朱羽は泣くのだろうか。
「北陸かぁ。私も行けたらいいのに」
「お前は桃也と離れたくないだけだろ」
「…………」
黙る京子に悪戯な顔みせて、マサは「一年だろ」と宥める。
「お前は、ちゃんと新人の面倒を見てやるんだぞ?」
「あ、そうだった」
「忘れてたのかよ」
四月からこの本部にキーダーが一人加わる。
「可愛い女の子が来るらしい」と、前に施設員たちが盛り上がっていた。
「京子、この間はありがとな」
「何の事?」
急に改まるマサに、京子は首を傾げる。
「お前が最後に浩一郎に向かっていったって聞いて、俺の背中が軽くなったんだ」
「久志さんと桃也が居てくれたからできたんだよ。だから、もう大丈夫」
浩一郎との戦いの最後、桃也が足の痛みを取ってくれて、久志が背中を押してくれた。
そうじゃなかったらきっとあのまま戦いを見守って、今も少しだけ後悔を募らせていたかもしれない。
「久志にも世話になったよな」
マサが廊下の奥からやってきた制服姿の二人に手を上げる。
見慣れないツーショットだ。
「長官に呼ばれてた」と説明する桃也の後ろから彰人が顔を覗かせて、掲示板を一瞥する。
「僕と離れることになって寂しい? 京子ちゃん」
「え」
「お前じゃねぇだろ」
桃也が彰人を睨むが、本人は気にもしない様子だ。
今回の辞令で桃也や平野と並んだもう一人のキーダーが彼だった。全く予想していなかったことだけれど、彰人もまたこの制服を着る道を選んだ。
「キーダーを選んだなら、みんなには頑張って欲しいって思う。ちょっと寂しいけど、訓練期間は一年だし頑張るよ」
期限が付いているならと、笑顔を装う。桃也は何も言わなかった。
「大人だな、京子ちゃんは。そういえば話変わるけどさ、京子ちゃんが僕に投げつけたアレのこと、本人めちゃくちゃ怒ってたよ」
「アレって……えぇ、本当に?」
彰人が左眉の横にできた小さな傷を指でなぞる。
アレというのは他でもない、アルガスの正面玄関に鎮座していた長官本人の胸像だ。
咄嗟に思い付いた攻撃は、最終的に浩一郎への止め刺すきっかけとなりバラバラに砕け散った。
途端に胃が痛くなる。午後に呼ばれている【取調室】こと報告室では、その事も言及されるだろう。
京子は溜息混じりに掲示板の貼り紙に視線を返した。
移動日は一ヵ月後の水曜日。
その数字に実感が沸かず、京子はぼんやりと桃也の横顔を見上げた。
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