四人が北陸へ発つ前日、京子は桃也と早朝のバスに揺られ丘の上を目指した。
もう何度も来ている筈なのに、彼と一緒だというだけで別の場所のように思えてしまう。
いつもの花屋はまだシャッターが閉まっていたが、窓を覗き込むと開店準備中の店主が少し驚いた顔で二人を迎えた。
「すみません、今日はカサブランカ入ってないんですよ」
「いえ。予約しているわけじゃないのに、いつもありがとうございます」
申し訳なさそうに眉尻を下げる店主に、京子は恐縮して頭を下げた。
『大晦日の白雪』から毎年墓に供えていたカサブランカは、最初の年に白い花が良いと言う京子に彼が見立ててくれたものだ。
「二人はお知り合いだったんですね」
店主は穏やかに笑んで、足元に積み上げられた箱を二人の前に開いて見せた。
「ガーベラはたくさんありますので。作りましょうか?」
桃色、橙と、色とりどりのガーベラに京子は思わず顔をほころばせる。それは桃也の姉が好きだったと言う、彼が毎年家族に贈る花だ。
「お願いします」と桃也が頷くと、店主はピンク色の花だけを選んで手に重ねていく。添えられたかすみ草に引き立てられたガーベラは、カサブランカのそれと比べ大分可愛らしいものに仕上がった。
ピンク色のリボンが結ばれた花束を受け取り、桃也は「あの」と店主に声を掛ける。
「すみません、帰りに同じ物をもう一ついただけますか?」
「これと同じでよろしいですか?」
「はい、お願いします」
満足そうに花束を見つめる桃也に、店主は「かしこまりました」と、二人を見送る。
大晦日にここへ来た時は、朱羽が一緒だった。
桃也と来るなんて何年先の事かと思っていたけれど、だいぶ早くに実現することができた。
──『恋人なら一緒に行って、彼の胸で泣いてくればいいでしょ?』
墓碑に手を合わせたところで、セナの言葉が蘇る。こっそりと桃也の横顔を伺うが、涙の衝動は起きなかった。
「どうした?」と腰を落としていた桃也が視線に気付いて立ち上がる。
「ううん、何でもないよ」
浩一郎の襲撃を経て、桃也たちに辞令が下りてから一月が過ぎていた。
引越しの準備や大学の手続きなどに加え、日々の訓練を前代未聞の大人数でこなした日々はあっという間で、迫る出発を寂しがる暇さえ与えてはくれない。
アルガスの修繕もほぼ終わり新しい鉄塔が建った頃、季節は春を迎えようとしていた。
☆
もう一つの花束を手にバスで移動し、少し離れた停留所から二人は銀色の塔へ向かう。
少し長めの距離にすっかり治ったはずの右足がじんわりと痛んだ。
心配顔の桃也に「もうすぐだね」と強がったのは、ようやく住宅街の建物が途切れた位置だ。
京子にとっては五年振りになる『大晦日の白雪』が起きた場所だ。
元々ここには公園と桃也の家があった。今は再び整備された公園に、『二度と起こらないように』と祈りを込めた慰霊塔が銀色の光を帯びて建っている。
あの日ここで見た灰色の景色の面影はまるでない。
木々の多い穏やかな公園は、まだ時間が早い平日のせいか人も少なく静かだった。
常設された献花台に京子はガーベラの花束を乗せて手を合わせる。
慰霊塔を見上げたまま黙り込む桃也は、この場所で何を思っているのだろうか。彼の手をそっと握り締めると、「ありがとな」と微笑んだ桃也の目にうっすらと涙が見えた。
「ずっと来てなかったけど、すっかり変わっちゃったんだね」
「そうだな、いい意味で変わったと思う。俺の家もでかかったんだけどな、もう記憶にしか残ってねぇや」
こんな時どうして良いのか分からず、京子は繋いだ手に力を込めた。抱きしめようかと手を伸ばすと、「大丈夫だ」と桃也は親指で涙を拭う。
この一月、どこか淡々と日々を過ごしてきた。忙しさを理由にきちんと話をしなかったのは、単に彼と離れてしまう現実を受け入れることができなかったからだ。
「北陸に行ってもいいか?」
改まって言う桃也に、「うん」と答える。それ以外の言葉が出てこなかった。
桃也は白銀の塔を仰いでホッと笑顔を滲ませる。
「この力で誰かを救えるなら、俺も救えるだけ救ってやりたいんだ」
そんな彼の決意を止める事なんて、できるはずがない。
「頑張って」
京子は精一杯の笑顔を広げた。
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