一通り傷を確認して、颯太は仰向けに横たわる律に顔を落とした。
すぐ側まで車を回して貰ったが、彰人が急所を外し応急処置をしたお陰でまだ少し余裕がある。
話を切り出すタイミングだ。
「アンタにはもう会う事もないだろうからな、一つ聞かせて貰いたい話があるんだ」
「貴方が……私に? 会った事もないわよね」
律は不快な表情で眉間に皺を刻む。自由に動ける状態ではないが、呼吸はだいぶ落ち着いていた。
「そうだな。アンタにとって辛い記憶かもしれないってのは先に謝っとく」
「……何よ」
銀次の事件の時は、彼女のことを何も知らなかった。
だから朱羽にヤスの事を聞いて、ずっとこの機会を狙っていたのだ。
修司の容態が安定して、病院からすぐに戻ってきた。
再び立った戦場の空気は妙に馴染んで、今まで拒絶していた自分をつい笑ってしまう。
「高橋洋が死んだ時、アンタを庇って死んだ奴が居るだろ? その人の事を教えて欲しい」
──『7年前──大晦日の白雪よりも後。今アルガスに収監されている安藤律の暴走を防いで、彼は命を落としてしまったの』
解放前のアルガスを出たヤスこと加賀泰尚の死をずっと疑って生きてきた。死体のない彼は本当に死んだのだろうか──その答えが出たのはついこの間の事だ。
ヤスは数年前までバスクとして生きていたという。
一度は颯太も納得して彼の死を受け入れたが、ヤスの最期に関わったという律と話せるチャンスを垣間見て、いてもたってもいられなくなった。
「俺は往生際が悪くて困るな」
『高橋』と口にした側から、彼女の顔がみるみると歪んでいくのが分かった。そしてそれは怒りを含む。
激しい痛みに胸を抑えた律は、大きな目を剥き出しにして訴える。
「貴方、あの男と知り合いなの?」
「あぁ、昔のな。その男がどんな顔で死んでいったのか知りてぇんだよ。聞かせてくれないか?」
「どう、って……」
ヤスは律にとって命の恩人だが、同時に恋人の高橋を殺した仇でもある。
記憶を掘り出す行為は、彼女の心を抉る行為だと分かっている。それでも知りたくて颯太は頭を下げた。非難される覚悟はしてきたつもりだ。
けれど、鋭く光った目は徐々に力を無くしていく。
律は暫く颯太を見つめ、やがてポツリとその答えを零した。
「笑ってたんじゃないかしら」
律の目尻から涙が流れ、垂直に地面へ落ちる。
「あとは良く覚えていないわ」
「ありがとう」
颯太は、自分も泣いている事に気付いた。
「ねぇ、あの人は何ていう名前だったの?」
晴れた夜空にぼんやりと目を開いて、律が問う。
「加賀泰尚だ」
「かが……やすたか……私は、また命拾いしたのね」
そう言って目を閉じた。
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