アルガスの最下層にある地下牢に踏み込むのは、京子にも颯太にとっても初めての事だった。
ほんのり鼻を突く黴臭さと閉塞感に、京子はそっと自分の胸を押さえる。
浩一郎との面会は、鉄格子越しに20分だけだ。
廊下の奥は行き止まりになっていて、一番遠い扉から仄暗い明かりが漏れている。
颯太は「行くぞ」と部屋の中が見える位置まで歩いた。
「誰だ」
顔を見る直前に相手から掛けられた声は、焦った様子もない。
記憶のままの、彰人に良く似た声だ。
颯太の傍らでぺこりと頭を下げ、京子は久々に会う浩一郎に「こんにちは」と挨拶した。物々しい鉄格子を挟んで向かい合う彼は、アルガス襲撃から三年という月日を全く思わせない笑顔で、「京子ちゃんか」と目を見開く。
「お久しぶりです、浩一郎さん」
「あぁ、あの時以来だもんね。随分綺麗になったんじゃない?」
思いもよらぬ言葉に面食らって、京子は「いえ」と胸の前で両手を小さく横に振った。
浩一郎はアルガスへ襲撃を仕掛けた張本人だけれど、彼への怒りのようなものは殆ど消えている。彰人に似た穏やかな表情に懐かしささえ覚えて、さっきまでの緊張が解けていった。
ようやく『同級生のお父さん』に戻った彼のお世辞に、胸がくすぐったい。
「いや本当に。うちの嫁に来てくれたら歓迎するのに」
「それは……」
10年前に同じことを言われていたら、大喜びしていたと思う。けれどもうその選択肢を選ぶことはないだろう。
それでもハッキリ断るのは悪い気がして返答に困ると、浩一郎が「冗談にしといてあげる」と笑ってジロリと颯太を見上げた。
「で、君は誰? 京子ちゃんの恋人……って歳ではないよね?」
「恋愛に歳は関係ありませんよ。けど、残念ながら違います」
あまり好意的ではない口ぶりの浩一郎に対し、颯太は挑むような返事を返す。
「だろうね。勘ちゃんが面白い奴を来させるって言うから期待してたけど。君に会った事あったっけ?」
「ありますよ。けど、こんなに歳くってちゃ思い出せないのも仕方ない」
「そうか、ごめんね。男の顔にはどうも興味が湧かなくてさ」
男だという理由もあるだろうが、20年以上の歳月が記憶も面影も消し去ってしまったようだ。
颯太は短い顎髭を撫でながら、彼に一つ謎をかけた。
「君ならどうする──? って言えば思い出して貰えますか?」
声色を変えた颯太の名演技だ。
浩一郎が彼に相談を持ち掛けた時の再現だろう。
一瞬黙った浩一郎が「あぁ」と眉を上げ、吹き出すような笑いを地下に響かせた。
「ハガちゃんか! オッサンになってて気付かなかったよ」
旧姓、破霞颯太──彼を昔のニックネームで呼んで、浩一郎は「懐かしいな」と目を細める。
そんな表情がやっぱり彰人と同じだと思いながら、京子は二人の再会を横から眺めていた。
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