それから十日が過ぎて、龍之介は新学期を迎えた。
二年生になったと言っても、クラス替えもなければ担任も持ち上がりで新鮮味はない。
ただ唯一というべきか教室が真下の階に下がり、一階分持て余した体力で、窓際の一番後ろでカフェオレをすする小出銀次に詰め寄った。
十日間悶々としていた感情の共有を図って、龍之介はその夜の出会いを早口に伝える。
「それって、お前がキーダーに助けられたってことだよな?」
銀次はズズっと飲み干した紙パックを後ろのごみ箱にポイと投げた。
興味津々な彼の視線から顔を逸らして、龍之介は「だよな」と首を捻る。
「普通、一升瓶って勝手に空飛ばないもんな? あの刺青した女もそんなこと言ってたし」
『キーダーだ』と自己紹介された訳じゃないが、別れ際の言葉は、そういう意味なんだと思っている。
──『私を誰だと思ってるの?』
彼女の手に巻かれていたのは、キーダーの銀環で間違いないはずだ。あの不思議な光景を目にして、疑う要素は何もなかった。
この世界には稀に超能力のような力を持って生まれる人間がいることを、龍之介は小学生の頃に知った。テレビコマーシャルに出ていた男を、両親が「懐かしい」と言っていたのがきっかけだ。
三十年近く前、東京の空に降ってきた隕石から、その男が類まれなる力で危機を救ったのだという。けれど、幼い龍之介の日常からはあまりにもかけ離れた話で、むしろ『そんな凄い人が、何でビールのコマーシャルに出ているのか』という方が気になってしまった。
国の管理下で英雄と称される彼らが『キーダー』と呼ばれるのに対して、力を持たない龍之介のような一般人は『ノーマル』という。
キーダーの出生なんて稀なことで、一生かけても出会う事はないだろうと思っていた。
「銀環付けてたなら、ほぼ確定だな。凄いじゃん、偶然だったんだろ?」
銀次は少しずつ人の増えてきた教室を見回して、急に声のトーンを下げた。確かに「キーダーに会った」なんて話を聞かれたら、とんだ騒ぎにもなり得る。
彼女に会った後で調べたことだが、キーダーの付けている銀環は、力の制御装置のようなものらしい。彼等に秘められた膨大な力を抑え込んでいるというが、もし外した時の威力を想像すると、少し怖くなってしまう。
「その上、年上の美人と来たら──なぁ? 惚れたのか、キーダーの彼女に」
突然そんなことを聞かれて、龍之介は咄嗟に「違う」と否定した。
「一回ちょこっと会っただけだし、向こうは年上だし、俺はキーダーじゃないし、ただもう一度会いたいって思うのが好きって気持ちかどうかは……」
「会いたいってだけで十分。歳も身分も関係ないだろ? 俺だって年上を好きになることはあるし、キーダーとノーマルが一緒になっちゃいけないなんて法律もない。一目惚れだってなんだって、大事なのは本人の気持ちだけだよ」
窓から吹き込む春風に揺れる髪を、銀次はキザったらしくかき上げる。それを遠くからいちいち反応してくる女子は、一体いつからこっちを見ていたのだろうか。
「お前、それワザとだろ」
「はぁ?」
嫉妬心をぶちまけて、龍之介は自分の胸をそっと掴んだ。
確かに銀次が言う通り、また会いたいと思うのはそういう気持ちが含まれているのかもしれない。
「一目惚れなのかな。けど、そうなのかも」
「素直でよろしい。名前くらい聞けば良かったのに」
「そんな余裕、俺にあるわけないだろ?」
「まぁそうだな」と笑って、銀次は窓の奥の青い空を見上げた。
彼がキーダーになりたかったという事を、龍之介は知っている。一年の時、『顔も頭も完璧な俺に足りないのは、キーダーの力だ』と本気で言っているのを聞いて以来、龍之介は銀次とつるんでいる。確かに背は高く顔も整っていて、入学式では代表挨拶をするくらい頭がいい。
最初は興味本位だったけれど、今は龍之介にとって一番の友人だ。もちろん銀次のことを悪くいう奴もいるけれど、そいつらのやっかみなんて本人には全く興味のない事だった。
「けど、短期で七万とは豪勢だな。バイト頑張ってたもんな。その彼女がいなかったらって考えると恐ろしいわ。美人で若いキーダーだったんだろ?」
龍之介が「あぁ」と頷くと、銀次は思い立ったようにスマホを出して何やら調べ出した。
「最近規制が入っててあんまりネットには上がってこないけど、昔アルガスはキーダーを公開している時期があってな。古い写真なら幾つか残ってるぜ」
アルガスはキーダーの所属する国家機関の名称だ。
「あった」と頬杖をついていた体を起こして、銀次はモニターを龍之介に向ける。
証明写真のようなバストアップで、制服姿の奇麗な女性が写っていた。けれど銀環の彼女とは違う。
首を横に振った龍之介に「そうか」と呟いて、銀次は彼女を指差した。
「この人は田母神京子。データは古いけど、この位の歳の女性は彼女しか出てこないな」
「田母神……京子?」
あのスカジャン男が、銀環の彼女をそう呼んでいた。人違いではあったけれど、それは確かに実在するキーダーの名前らしい。
その話をすると、銀次は額に手を当てて黙り込んでしまった。
「俺は、もう一度あの人に会いたいんだ」
あの場に居合わせた奇跡をもう一度なんて、そう簡単に起きるものではないのかもしれない。
龍之介に転機が訪れたのは、それから三か月後の夏休みを間近に控えた七月のことだった。
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