もう1レースとせがむ藤田を無視して、久志は巧みな松葉杖さばきで羽田を目指した。
能登行きの便に乗りたかったが既に席は埋まっていて、小松空港への便を選ぶ。そこから支部まではだいぶ距離があった。
「部屋に置いてきた荷物、どうすんだよ」
「向こうで揃えればいいよ。どうせ独り身で仕事もしていないんだし、後からどうにでもなるでしょ?」
アルガスの許可など何も取っていないが、ここは彼の実績とキーダーである久志の権限で幾らでも押し通せるだろう。
昼過ぎの直行便に飛び乗って、そこからは電車移動だ。途中下着やらの買い物を挟んだせいで、到着は終業時間ギリギリになってしまった。帰り支度の済んだキイとメイが、藤田の同行に不審者を見るような視線を交わらせる。
「だ、誰ですか?」
ヨレヨレのチェックシャツにデニムズボン、加えて手入れされていない白髪頭に髭面のコンボは、もはや久志にとってはいつも通りの藤田に過ぎないが、若い女子には理解できなかったらしい。
けれど、二人も相当腕の立つ技術者だ。彼を知らない訳はない。
「藤田善一さんだよ。知ってるでしょ? 色々あって暫くここで働いてもらう事になったから」
「ええっ! あの、伝説の技術者の藤田さんなんですか?」
「おぅ。そこの隅っこの机にでも座らせといてくれ」
「きゃあ」と歓喜する二人は、まるでアイドルにでも会ったかのような豹変ぶりだ。
藤田も満更ではない様子で求められた握手を受け入れる。
「そんな、藤田さんを端に追いやるなんてできません!」
藤田の手を両手で握り締めたキイが、興奮気味に声を上げた。
そんなミーハーな部下に久志が「挨拶」と呆れたように促すと、二人は軽い自己紹介をして帰って行った。
急に静かになってしまった部屋に、藤田の笑い声が響く。
「お前、あんなキャピキャピした女二人も囲って、ここで何してんだよ」
「囲ってるとか言わないでくれる? 彼女たちは僕の大事な助手なんだからね?」
藤田は「ほぉ」とニヤついた顔で部屋を見渡し、部屋の隅に立て掛けられたさすまたに目を細めた。
久志渾身の、さすまたくん三号だ。
「何だ、ありゃ。強盗でも入って来るのか?」
しかし事情を知らない藤田は興味深げに近付き、それを手に取る。ぐるりと宙で回し、警戒もなく手元のボタンを押し込むと、さすまたの先端がビリと電流を走らせた。
「僕がノーマル用にって作った武器だよ。少しずつ改良してて、今のこれが三号なんだ」
「お、おぅ。そうか。こんなんでバスクと戦えんのかよ」
光の消えたさすまたを訝しげに見つめ、藤田は何か言いたげな顔を傾げた。
「実績はあるんだよ」
「まぁ失敗を重ねてこそ良いもんができるからな」
「だから失敗作じゃないって!」
久志は訴えるが、藤田は「分かったよ」とさすまたを元の位置へ戻し、側の椅子を引き寄せて腰を下ろした。すぐ横には久志の机がある。
「懐かしいもんがあるな」
机の前面には仕事道具が提げられている。どれも藤田が残して行ったもので、腕時計同様ずっと手入れをしてきた。
「あの時のまんまだよ」
「どれも安物だけどな。俺が道具を選ばねぇのはお前だって分かるだろう?」
「分かってるよ。100円のドライバーだって思っても、捨てられなかったんだ」
使えるものは何でも使う、使えなければ使えるようにすればいい──彼はいつもそんな事を言っていた。道具も言葉も、久志にとっては大切な思い出だ。
「また一緒に仕事できるなんて夢にも思わなかった。当分の間はここのゲストルームに泊まればいいし、他の事は追々考えよう?」
「──そうだな。こんな遠いところって思ったけどよ、案外悪くねぇんじゃねぇの?」
面倒そうな顔が嬉しそうにも見える。
それは都合の良い解釈かもしれないけれど。
ただ、彼の『悪くねぇ』はここで一緒に仕事できるという理由だけではなかったらしい。
「とりあえず明日はラジオ買いに行かねぇとな」
そういえば金沢にも競馬場がある事を、久志はすっかり忘れていた。
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