「修司くん!」
吹き荒ぶ風の音が遠退いて、耳の奥に届いた彰人の声に感覚が引き戻される。
意識と共に跳び上がった身体が地面に叩き付けられたらしい。ずっしりと重い手足がなかなか言う事を聞かず、頬に張り付いた硬いコンクリートを無理矢理引き剥がした。
口の中に入り込んだ砂利を吐き出すと、足元に血の跡が黒く滲む。
目の前の光景が悪夢のようだった。屋上に立ち込める光が霧のように晴れていく。ガタガタに割れたコンクリートのあちこちからは、細い煙が立ち上っているのが見えた。
そんな風景の真ん中で姿勢を低くした彰人が、力なく横たわった律の身体を抱き上げている。
だらりと地面に垂れた彼女の腕に修司は愕然とする。よろめく足を立ち上げると、飛散したコンクリート片が全身からボロボロと落ちた。
片手で軽く払い落とし、修司は二人の元へ急ぐ。
「無事ですか? 彰人さんも……」
「また君は敵の心配なんかして」
そういう彰人も、このまま律に止めを刺すようなことはしないらしい。
状況からすると、律の起こした衝撃は屋上だけで完結しているように見えた。崩れたのは建物の表面だけで、本体には殆ど影響がない。
あの大晦日の夜、モニター越しに見た光景と比べれば大分小規模な爆発だ。
桃也が引き起こした悪夢は全てを無にしていた――だから、これは暴走でない筈だ。
最悪の事態を止めたのが彰人だと理解したところで、修司はハッと律の言葉を思い出す。
『私を庇って暴走を止めたせいで、その男も死んでしまった』
彰人の制服の所々が裂けていて、癖のある柔らかい髪も乱れている。かつて同じように律の暴走を止めた男が亡くなった現実を重ねてしまうが、煤だらけの彰人は「平気だよ」と笑顔を見せ、修司は胸を撫で下ろした。
しかし彰人の膝を枕に目を閉じる律は息も絶え絶えで、もうこのまま動かなくなってしまうのではないかと不安が過る。
「律さんは……」
「死んではいないよ。バスクってのはどうしてこうも無茶な事ばかりするんだろうね。僕も他人のこと言えないけど、キーダーになって本当にそう思うよ。これじゃノーマルが能力者を怖がるのも無理ないよね」
「本当に、そうですよね。律さん……」
瀕死の彼女にこれほどの威力が残っていたとは到底思えない。けれど、その状況こそが被害の引き金になったと考えれば、やはり銀環のない力の存在は危険だ。
返事のない律を見守っていると、彼女の瞼が震えて細く目が開いた。
「……彰人?」
「どうしたの? 律」
朝の目覚めにでも応えるように、彰人は穏やかな表情で首を傾げた。
「私、暴走しちゃったの? 貴方、こんなトコに居たら、死んじゃうわよ」
やっと聞き取れる程のか細い声。力なく緩む律の目に涙が滲んだ。
「それとも一緒に、地獄へ行ってくれるのかしら」
律はそうなることを望んでいるのだろうか。けれど、彰人は「まさか」と呆気なく否定し、「暴走なんてしてないよ」と告げた。
「地獄に行く気もないし、今君と心中する気もないからね」
「冷たいのね」
「だって、死んだら君は向こうで恋人の元へ行くんでしょ? そんな惨めなのはごめんだよ。死に損ってやつだ」
「確かにそうかもしれないわね」
「君とはもう少し一緒に居たかったんだけどね。それと、バレたからには率直に聞くけど、松本秀信って男の事を知ってるよね?」
その名前を聞いた律が、明らかに動揺の色を見せる。震える唇をきゅっと結ぶ彼女に、彰人は「分かった」と笑んだ。
「その顔で十分。詳しいことは別の担当に拷問されながらでも吐けばいいよ」
「拷問なんて受ける気ないわよ。けどそうね、私も貴方ともう少し一緒に居たかったわ……」
「そうか、それは残念」
律の言葉が途切れる。再び閉じた目に修司が「律さん!」と呼び掛けるが、彰人が静かに首を横に振った。
「気絶しただけだよ」
彰人は仰向けに眠る律を、膝から地面へそっと下ろした。
「律、君は死というものを安易に受け入れようとしすぎだ。君の罪は消えないけど、償えない訳じゃないんだから」
語り掛ける彰人の言葉に、律が笑顔で答えたような気がした。
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