「保科修司さんですね?」
中央に立つ初老の男に名前を呼ばれたことに戸惑って、修司は一歩後退る。
さっきこんな場面を予行練習したような。サングラスさえ掛けていないが、暑い中黒っぽいスーツを着た男たちは、人の良さそうな笑顔で修司へと手を差し伸べてきた。
「知り合い?」
譲が横からこっそり聞いてくるが、修司は首を横に振る。
さっきの寸劇のせいで彼等の正体が修司の中で一択に絞られた。キーダーかとも一瞬思ったが、誰一人と手首に銀環はなく、力の気配も感じられない。
「俺が保科修司だったら、そっちは何なんだよ。俺はアンタ達の事なんて知らないぜ?」
男たちは口角をクイと上げるだけで、答えようとはしなかった。
アルガス側の人間なら、まずその事を一番に話すだろう。
修司は譲を一瞥し、男たちを睨んだ。
覚悟を決める時なのだろうか。動揺を逃がすように深呼吸し、やはり自分は受け身でしかないことを呪う。
相手がどこの組織の人間であれ、こんな日が来ることは予測していた筈なのに――。
「譲、逃げろ!」
「は? お前は?」
咄嗟に声を張り上げるが、譲はその場から動かない。
一緒に逃げるのも得策かと踵を返すと、横に回ってきた若いスーツの男に右腕を掴まれた。
この状況は不味い。
能力者は気配など幾らでも隠すことができる。だから、彼がノーマルである確証など何もなかった。
修司はバスクとはいえ戦闘訓練の経験など皆無に等しい。覚えたての力を無理に使ったところで、繁華街のど真ん中で制御できるとも思えない。もし暴走などという事が起きてしまえば、『大晦日の白雪』を繰り返してしまうかもしれないのだ。
「ちゃんと訓練しとけば良かったな」
ボソリと吐いた本音は喧騒に掻き消える。
勝ち目のない戦いをするのなら、いっそ大人しく自分一人が連れて行かれた方が良いのかとさえ思ってしまった。
譲を巻き込むわけにはいかない。彼等がホルスなら、欲しているのはバスクの力だ。だから、最悪ついて行った所で命に係わる事はないだろう。
ただ、どういう経緯で彼等がここに居るかだけは知りたかった。
けれど修司が三人にそれを尋ねようとしたところで、
「貴方たちは何なんです? そこに交番あるんで、そっちで話しませんか?」
痺れを切らした譲が、横から先に訴えた。凛としたその態度に、三人は煩わしそうに顔を見合わせる。
状況の物々しさに周囲の視線が集まり始めた。
譲にこれ以上隠し通すことはできないのだろうか。できるならノーマル同士の関係で居たかった。
「やめろ譲、俺が話すから」
修司はそう言って掴まれた腕を思い切り振りほどいた。解放されたのも束の間、今度は別の大柄の男が譲の腕を捕まえて、その手を高く引き上げる。
「痛ぇっ!」
譲の悲鳴。男の剛腕に軽々と身体を持ち上げられて、宙を掻いた爪先が地面をこすった。痛みに全身をバタつかせる姿に、修司は「ふざけるな」と叫ぶ。
「これがお前たちのやり方なのか? そんなんで俺が従うとでも思ってるのかよ!」
修司は男たちに構えると、初老の男がニヤリと笑った。
「ここで騒ぎを起こしたいのなら、お相手しますよ?」
修司一人が本気で戦ったところで、勝ち目などないのは目に見えている。
ここに律か彰人のどちらかが居れば、その力で助けてくれるだろうか。
遠くに感じた気配に一縷の望みをかけて──
「律さん! 彰人さん!」
きっとその声は本人に届かないが、助けを求めずにはいられない。
今、修司が頼れる人間は彼等しかいないのだ。
けれどその名前を聞いて、初老の男は哀れだと言わんばかりに表情を歪めた。
「誰も助けになど来ませんよ」
クツクツという耳障りな笑いに、後悔が先走る。
「私たちをここに来させたのが誰か知りたいですか?」
彼の表情で予想した答えを、修司は「やめろ」と拒絶する。
けれどそんな思いも虚しく、男はその名前を口にした。
「安藤律ですよ」
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