「お帰り爺。今回は早かったね」
綾斗と昼食を済ませてホールへ向かった京子は、入口の向こうに覗いた白髪交じりの頭に声を掛けた。
入ってすぐの所で正座する大舎卿は、精神統一の真っ最中だ。
彼は肩越しに「おぅ」と返事すると、崩した足を胡坐に組み替えた。
京子と綾斗は少し距離を置いて、彼の向かいに腰を下ろす。いつもひんやりと冷たい床が、ほんのりと温められていた。
「とんだ目に遭ったな」
「突然だったんだよ。けど、私狙われたんだよね?」
何度思い返しても、その答えに行き着く。光はあの場所にいた京子へ放たれたものだ。
大舎卿も「そうじゃな」と頷く。
「偶然バスクがそこに居合わせて、何の意図もなく攻撃してきたとは考えにくいじゃろうな」
身を潜めて生きるバスクにとって、キーダーへの攻撃は致命的な行為の筈だ。
京子は唇を噛んで、自分の膝をぎゅっと抱きしめる。
「また来るのかな。本部の管轄で今まで被害が少なかったのは、たまたま運が良かっただけだと思う」
「いつでも戦えるようにしておくのじゃぞ? そんな足では体力的にも精神的にも負けが見える」
「お前もな」と大舎卿に声を掛けられて、綾斗は「はい」と嬉しそうにはにかんだ。
「ワシらの敵は宇宙人でも怪獣でもなく、人間じゃ。そんなのはアルガス解放以前からの話じゃからな」
大舎卿は両腕を組み、低く唸った。
『大晦日の白雪』が隕石でないことを知った時から、京子もずっとその現実を噛みしめている。
「バスクはどれだけ居るんだろうね」
キーダーの素質を持ちながら、国の管理を逃れて生きる能力者がバスクだ。
銀環の制御がなければ、ふとしたことが誘因となって大暴走を起こすらしい。能力者の意思を反して放出されるエネルギーは通常の比ではなく、『大晦日の白雪』がバスクの暴走だと捉える人間も多い。
バスクからキーダーへの転身は可能だが、それを望む人間はあまり多くなかった。
『キーダー』や『バスク』がその力を望まない場合、力は強制的に剝奪され『トール』と呼ばれるようになる。
「今、アルガスに在籍するキーダーは十二人。少なく見積もっても倍は居るじゃろうな。まずは、目の前の仕事をこなすのがワシ等の務めじゃ。お主等マサの所に行ってこい」
「マサさんの所?」
京子が何だろうと立ち上がると、大舎卿がふんと鼻を鳴らす。
「久しぶりに、アレが飲みたい」
「アレ……? って。そういうこと?」
ハッとして京子が顔を上げるが、状況が掴めない綾斗は二人を交互に見つめ首を傾げた。
☆
アルガス二階に並ぶキーダーの『自室』で、京子の三つ隣がマサの部屋だ。
扉をノックすると、「おぅ入れ」と声がする。
「何シケた顔してんだよ。待ってたぞ」
中に入ると、仁王立ちしたマサが窓辺で二人を迎えた。いつも会っている彼に違和感を感じてしまうのは、見慣れたジャージ姿ではなく制服を着ているからだ。
「珍しいですね、そんな恰好」
ソファに脱ぎ捨てられたジャージを一瞥する綾斗に、マサは「どうだ」と腰に手を当ててポーズをきめた。
彼が着ているのはキーダーの制服とは違い、一般の施設員と同じものだ。紺の上下にセナと同じ山吹色のネクタイを締めている。
けれどそんな久しぶりの制服姿よりも、京子は相変わらず物の多い部屋が気になって仕方なかった。机の上やテーブルの至る所に、本や書類が山のように積みあがっている。
昔からここはずっとそうで、まだ彼がタバコを吸っていた数年前までは『絶対に火事を起こさないように』と上から厳重注意されていた。
「私、この部屋で地震に遭ったら、倒れた書類で圧死する自信あるよ」
「はぁ? 訓練が足りねぇんだよ。キーダーなら力で避けられるだろ?」
「うるせぇな」と笑うマサから目を逸らし、京子はヤニで色付いた壁に溜息を零す。
「それより今回は綾斗と二人なの? 場所と期間は?」
マサが制服を着るのは、式の時と管轄外への仕事を言い渡す時だけだ。別にいつものジャージで問題ないと思うけれど、その辺は彼のこだわりらしい。
「まぁ焦るなよ。俺に仕事させてくれ」
京子は綾斗を促し、マサの前に並んだ。
マサはテーブルに高く積まれた本の上に乗った書類を、それぞれに差し出す。
「なぁに一週間もあれば終わるさ。仙台に行ってもらうからな」
京子は分厚い紙の束を抱えて、中にさっと目を通した。バスクと思われる男の調査依頼だ。
アルガスの東北支部にはキーダーが在籍しておらず、関東や北海道が臨機応変に足を延ばしている。
「ついでに実家で息抜きしてきても良いぞ」
『大晦日の白雪』の時帰省中だった京子は、そのトラウマであまり実家に帰れずにいた。
新幹線で一時間半の距離だが、今自分の場所をプライベートな理由で長く離れることに不安を覚えてしまう。
「一週間か」
アルガスは支部の数に対して慢性的にキーダーの数が少なく、一週間程度の出張は珍しいことではない。行ってしまえば問題ないけれど、この瞬間だけは少し憂鬱になる。
そんな京子に、マサは腕を組んでニヤリと口角を上げた。
「桃也に会えなくなるのが寂しいのか?」
「そんなことないです!」
面食らった顔で京子が言い返すと、マサは「ならいいだろ」と歯を見せる。
「昨日のことは置いといて、とりあえず行ってこい。綾斗の先輩としても、任務を果たして来るんだぞ」
マサは、京子と綾斗のトレーナーだ。いわゆる教育係。それに加えて、スケジュールや体調などキーダーの管理をしている。
彼は元キーダーだ。京子がアルガスに入る二年前まで、この支部で大舎卿と仕事をしていた。
それが、前触れもなく突然力を失ったらしい。
キーダーとして讃えられた幼少時代を経てアルガスへ入り、たった四年でその力が途絶えた。力の自然消滅は他に例がないというが、彼はトールとしてアルガスに残る選択をした。
書類にまみれた机の引き出しには、今でも彼の趙馬刀が入っている事を京子は知っている。柄の根元には彼が自分で彫ったという星印が刻まれていた。
キーダーの力は不安定で確実なものなど何もないと言うが、マサが再びその柄に刃を付ける事はできるのだろうか。
一見楽観的に見える彼がどんな思いで自分たちに接しているのか、たまに不思議に思うことがある。
桜の章が消えた制服を着て、マサは「行ってこい」と親指を立てた。
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