スラッシュ/

キーダー(能力者)田母神京子の選択
栗栖蛍
栗栖蛍

281 嫉妬

公開日時: 2024年10月2日(水) 09:59
文字数:1,282

 腹部を抱えられたまま戦場の端へと移動する。束ねられた男の長い髪が、腰の辺りをくすぐった。


「下ろして」


 律は何度もそう訴えるが、男は聞き耳を持ってはくれない。

 『助けに来たわけじゃない』と言っていたが、実際はどうなのだろうか。


 修司しゅうじとの戦闘を諦めたくなかった。

 彼の潜在能力の強さは、最初に会った頃から分かっている。だからこそ仲間にしたいと思ったのだ。 

 ただそれでも彼がまだ初心者だという気持ちが頭のどこかにあって、油断してしまった。

 この一年、あの狭い牢の中で自分なりに出来る事はしてきたつもりだが、全然足りなかったらしい。

 慢心まんしんが招いた結果にショックを受けて、律は暗い地面にぼんやりと呟く。


「私は何のためにこんな所まで来たのかしら」

「戦いに来たんだろ? 戦場で生きるか死ぬかなんて運なんじゃないのか?」

「どうせ死ぬなら、私は圧倒的な強さの前で自分の弱さを思い知りながら死にたいわ」

「面倒くさい女だな」

「女なんてみんな面倒くさい生き物よ」


 男はさっきまで薬の副反応が出ているようだったが、今は落ち着いて見える。


「貴方はホルス人間なんでしょう? 私をどうするつもり? 役立たずは粛清しゅくせいでもされるのかしら」


 ホルスの事などほとんど知らないが、彼はトップの男ではなさそうだ。だとすればこんな振る舞いができる能力者は絞られる。


 男は「いっぺんに聞くなよ」と、下がった目尻の端でギロリと律を睨んだ。

 体格が良く一見若そうに見えるが、目元にあるホクロの周りには暗闇でも分かる程のハッキリとした皺が刻まれている。


「松本秀信ひでしなって人が居たわね。元キーダーの男かしら」

「良く分かってるじゃないか」


 男はそれを否定しなかった。

 高橋が昔『忍の相棒』だと言っていた男だ。


「アンタはトールになったと聞いていたが、薬を持ってるのか?」

「高橋が一つだけ残してくれたの」


 一つ、という言葉に松本は「ふぅん」と残念そうな音を響かせる。


「貴方はホルスの考えに賛同してこっちに寝返ったの?」

「そうじゃない。俺はアイツの側に居る為にアルガスを出たんだ」

「…………」


 胸の傷がシクリとうずく。昔、高橋に薬を与えられた時と同じ気持ちだ。

 ──『もし僕に何かあったら、彼を助けてくれないか?』


「アンタ会った事ないだろう? 忍の所に行くか?」

「結構よ。遠慮させてもらうわ」


 理由の先に、いつもその男がいる。理由なんて分からないし、知りたくもない。


「だから、殺す気もないなら私をその辺に捨てて行ってちょうだい」

「その足でか?」

「心配されて喜ぶような生き方なんてしてないのよ」

「…………」


 少し迷うように黙って、松本は「分かったよ」とうなずいた。

 廃墟から大分離れた木の根元に律をごろりと転がす。

 地面に突き出た石が傷に触れて強い痛みを走らせるが、律はぐっとこらえた。

 仰向けに見上げた夜空を、松本の顔が塞ぐ。


「アンタはそんな顔してたんだな」

「だから何よ」

「せいぜい長生きしろよ?」


 背を向けた松本に、律は「ありがとう」と呟いた。


   ☆

 その頃。

 京子は単独で移動する忍を見つけて廃墟の中へ入り込んだ。

 忍がそれに気付かない訳はない。

 ひっそりと微笑んだ口元は、誰の目にも留まる事はなかった。












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