やよいが近くに居ると聞いてホッとしたが、不安が晴れる事はなかった。
じっとしている事も出来ず、久志は白衣を羽織る。
「ちょっと探してくるよ」
「私も行きます」
キイが同行を名乗り出ると、キッチンでコーヒーを淹れていたメイが「私も」と顔を覗かせる。
「メイは留守番してて。行き違いになるかもしれないから」
「はぁい」と残念がる彼女を置いて、久志はキイと部屋を出た。
支部の北側にはヘリポートがあり、その向こうは鬱蒼とした緑の風景が広がっている。元々農地だった場所を買い取って建てた支部の周りは、訓練用にと殆ど整地もされていない状態だ。
荒れた風景のどこにやよいが居るのかなんて想像もできないし気配もないが、GPSを無視はできない。銀環の指し示す場所に彼女は居るのだ。
昨夜の雨でぬかるんだ泥が白衣に弾いて、久志は眉を顰めた。
「やよい」
遠くへと呼び掛けながら草の中へ踏み込んでいく。闇雲に探している訳ではないが、そう思わざるを得ない状況に苛立ちが募った。
200メートルほど移動した所で、踏み込んだ足が異質な気配を捕らえる。
頭のてっぺんまでビリと駆け抜ける衝撃は、電流に近かった。
「なにこれ。えっ……まさか、空間隔離?」
数歩退いて、気配のあった方向へ目を凝らす。一見変化のない風景だが、透明な薄い膜が視界を遮っているのが分かる。勿論、ノーマルのキイには見えないものだ。
空間隔離は建物や一般人への被害を防ぐ為に、能力で別次元を作り出す。もう殆ど消えかかっているが、一定の範囲を囲った幕が、中の気配を内側に留めていた。
ここで戦闘が起きたというのか。
燻ぶった隔離壁の範囲は広い。広範囲の空間隔離は特殊能力で、今これを使えるキーダーなど久志は知らなかった。
「だとしたらバスク? いや……実は、って事もあるのか?」
やよいはそんな事するだろうか。
それに、こんな草だらけの場所で空間隔離を使う必要があるとすれば、気配を隠すため──他の能力者に気付かれない為にという事だろう。
「それって、僕にって事だよね?」
この中に答えはあるはずだ。
久志は汗を握り、後方で立ち止まるメイを呼ぶ。
彼女を中に入れるか迷ったが、一人にさせるリスクが大きいと踏んだ。もし何かあっても、彼女一人なら守ることができる。
「僕から離れないでね」
「……はい」
「行くぞ」と気合を入れて、久志は消えかかる隔離空間の中へと踏み込んだ。
風の音が遠ざかって、耳が少し痛い。同時に激しい気配に煽られて、久志は胸を押さえた。
やはりここで戦闘が起きたらしい。
「やよい」
相変わらず返事はなかった。
久志はもう一度彼女の名前を呼んで、ポケットのスマホを掴む。
彼女にもう一度電話を掛ける──鳴らないで欲しいと思った。
けれど、聞き覚えのある着信音が遠くで音を響かせる。
「やよい!」
久志は衝動のまま地面を蹴る。
この先に待ち受ける現実など、考えたくなかった。
悪い予感は杞憂だったねと笑いたかった。
音のすぐ側まで来て、つんのめるように足を止める。視界に飛び込んだ光景に、現実を受け入れられず目を逸らした。
やがてコールは留守録に切り替わって、再び静寂が広がる。
「久志さん?」
追い掛けてきたキイに「来るな!」と叫ぶ。
「えっ?」
「駄目だ、そこに居て」
彼女を数メートル後ろに留めた。
どうすればいいのか分からなかったが、腹を括る。
草むらに隠れた両足があった。ピンと伸びた先に、見覚えのある靴を履いている。
「嫌だ、何で……こんな事あってたまるかよ」
仰向けになった身体は所々を血の色に染めているが、肌はもうその色を失っていた。
「僕はこんな事受け入れないからな?」
暗い朝の空を眺める目がもう戻って来れない状態だと理解して、久志は狂乱のままに叫んだ。
「やよいぃぃい!!」
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