元旦もアルガスは通常通りに動いている。ただ、帰省している施設員も多く、真昼の食堂はどこかのんびりとした空気が漂っていた。
カウンターの列に並ぶと前に居た施設員の男が京子に気付き、「誕生日おめでとうございます」と振り返ってくる。食事の入った蓋付きのランチボックスを受け取ると、配膳のマダムにまで「おめでとう」と祝福される始末だ。
「京子さん!」
そして今度は突然大声で名前を呼ばれ、食堂の視線が集中した。
窓際の席で手招きする綾斗を見つけて、京子は慌てて彼のテーブルに駆け込んだ。
「ちょっと、大きい声で呼ばないで! 恥ずかしいんだから」
「すみません。今日が京子さんの誕生日だって聞いたんで。おめでとうございます!」
「それは……ありがとね」
ランチボックスの蓋を取ると、中は九つに仕切られていた。
正月に合わせて昆布や紅白かまぼこといったおせち料理が並んでいるが、真ん中の升には苺のショートケーキが入っていて、抜群の異物感を放っている。
食堂長である平次の計らいだ。
キーダーの誕生日に合わせてお祝いメニューが準備されていて、前回の大舎卿の時はイカ飯に紅白饅頭が付いていた。
昔からの恒例で、当日は昼を過ぎると周りから必然と声を掛けられてしまう。
「おめでとう、京子ちゃん」
綾斗の声に気付いてやってきたのは、食堂長の平次だ。
運んできた雑煮をテーブルに並べる。関西出身の彼が作る雑煮は、煮た丸餅で汁が濁っていた。
平次はマサと同じ歳で、京子がアルガスに来るより前からこの食堂を切り盛りしている。穏やかな性格で笑うと目尻の下がる彼は、洋菓子店の次男だという。
「ありがとうございます、平次さん」
「どういたしまして。それよりマサが元気ないけど、またセナちゃんにフラれたの?」
流石、無二の親友とマサが豪語している相手だ。結局大晦日を一人で過ごしたらしいマサは新年からぼんやりとしていたが、毎度の事ながら昼前にはいつもの彼に戻っていた。
「もうすっかり元気ですよ」
「それならいいけど。アイツもホント頑張るよね」
平次は既に結婚していて、三歳になる娘が居る。
「そうだ。綾斗くんも、誕生日の時は特別メニューにしてあげるよ。デザートは何がいい?」
「本当ですか? じゃあ、モンブランでお願いします」
迷うことなく綾斗は答えた。
「了解。なら、特製のマロングラッセを仕込まなきゃね」
「やった。有難うございます」
「任せて」と意気揚々に調理場へ戻っていく平次を、綾斗は笑顔で見送った。
「そんなに好きなの? モンブラン」
「はい。実家にいるときは毎年栗拾いに行ってたんですよ。栗ご飯とか色々作ってもらって、それが美味いんです」
「栗拾いって、綾斗出身どこだっけ?」
栗拾いなどと言う季節の行事は、京子には全く縁のないものだった。山に行って落ちているのを見ても、拾ってきて食べるという感覚はない。
「福井です」
最後まで残してあった栗きんとんを至福の顔で頬張る綾斗。
京子は頭に日本地図を描きながら大分遠いなと思う。そして、自分のランチボックスを掴んで「これも食べる?」と差し出した。
「いいんですか? 今日は京子さんの誕生日なのに。俺、昨日の事も申し訳ないって思ってるんですよ?」
「気にしなくていいよ」
「だったら俺のケーキ食べませんか?」
「私はお腹いっぱい。それにケーキ二つも食べたら太っちゃうし」
ビー玉に打たれた場所は少し青黒くなったが、特に支障はなかった。
申し訳なさそうに眉をハの字にする綾斗に、京子は「じゃあ」と彼のボックスへフォークを伸ばす。
「イチゴだけ貰ってもいい?」
「もちろんです。京子さん、改めて誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
京子が大粒のイチゴを一口で食べる。
「じゃあ、俺も有難くいただきます」
普段クールに見える彼だが、嬉しそうに緩む表情は子供のように無邪気だ。綾斗は返した箸で栗をつまむと、満足そうに頬を上げた。
「そういえば京子さん、今日誕生日なら夜は恋人とパーティでもするんですか? 年下の彼と同棲してるんですよね?」
どこでそんな話を仕入れて来たのか。
「そんな情報もらってこないでよ。別にパーティはしないんじゃないかな」
「そうなんですか? 勿体無い。折角相手が居るのに」
去年は家でケーキを食べた記憶があるが、パーティという程ではなかった気がする。
それに桃也の誕生日は京子が出張で、大分経ってから簡単に済ませてしまった。先日のクリスマスも、京子が買って帰ったケーキを二人で食べただけだ。
「そういう綾斗はどうなの。彼女とか居ないの?」
綾斗は自動販売機で買ってきたパックの牛乳を飲みながら、少し考えるように首を傾げた。
ランチにはセルフで玄米茶がついているが、それとは別に食事ごとの牛乳が彼の習慣になっている。
「そういうの興味ないですよ。それにキーダーっていうだけで騒がれちゃって、面倒くさいっていうか」
「え、何それ。キーダーってモテるの?」
「そういうのありませんか? 銀環してると良く見えるのかも」
「コレで?」
京子はケーキに刺したフォークの手を止め、左手首に視線を落とした。
キーダーという肩書きを付けられて二十一年目を迎えたが、どれだけ記憶を遡ってもそんな恩恵を受けたことはない。
「あ、でも女性だと別かもしれないですね。異能力で戦う女子なんて逆に恐い──」
「恐いって、私が?」
「イメージの問題ですよ。キーダーっていったらエリートだし、力はあるし。男はちょっと遠慮しちゃうというか。彼女にするにはちょっと荷が重いっていうか」
「はぁ? ちょっと喋りすぎじゃない? 言いたいこと言ってくれちゃって」
じっとりと睨む京子に、綾斗は「すみません」と苦笑する。
「今まで男の子にそんな目で見られてたなんて、考えたこともないよ」
「実際の事は分かりませんけど、大舎卿なんて凄かったんじゃないですか? 何せ僕らの英雄ですからね」
「あぁ……若い頃はモテたのかな? 私がここに来た時には、ハナさんていう奥さんが居たの。去年亡くなってしまったけど、綺麗な人だったんだよ。結婚するまでここでセナさんと同じ仕事をしてたみたい。北海道出身の人で、よく差し入れを持ってきてくれたの」
解放前からアルガスにいて、セナ同様男性陣の憧れの的だったらしい。英雄である大舎卿が彼女を射止めたのだから、やはり彼もモテたのかもしれない。
「あぁ、それでイカ飯好きなんですか。名物ですよね」
「そう。爺の誕生日に食べれるよ。それ以外でも、たまに平次さんがランチに入れてくれる時があって、喜んで食べてる」
「思い出の味なんですね」
「そうだね」と京子は窓の外に視線を向ける。
静かな晴れの正月だった。
敷地を囲う壁の奥に工場の屋根が並び、一番奥に細い海が見えた。
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