アルガスの屋上は、清清しい春の陽気に包まれていた。
副操縦士と操縦席でスタンバイするコージの愛機の前で、本部から出発する三人と綾斗が二人を待ち構える。
「あれ。爺は来てないの?」
「若いのだけでどうぞって言われちまってな。下でガミガミと見送られてきたトコだ」
疲れ顔をアピールするマサを、京子は「お疲れ様」と労った。
「これ平次さんから、みなさんで食べて下さいって預かってきました」
綾斗が両手で抱えていた紫色の風呂敷包みをマサに渡す。
昼時を迎えるアルガスで、食堂長の平次は一番慌ただしい頃だろう。
マサは「サンキュ」と昼食に鼻を当て、満足気な表情を浮かべてヘリの中へ積み込んだ。
そんなマサの横で彰人と並ぶ桃也を、京子はぼんやりと見つめる。
彼が発つということに、まだ実感が湧かなかった。
ふと重なった視線にたじろいで、京子は思わず目線を逸らす。
「皆さん気をつけて行って来て下さいね。やよいさんや久志さん達にもよろしく伝えて下さい」
はきはきと送り出す綾斗は戦闘で壊れたメガネを新調し、以前とは少しだけ雰囲気が違って見えた。若干丸みを帯びたフレームの効果で、表情が柔らかくなったような気がする。
自分も何か言わねばと京子が言葉を探していると、黙っていたセナが横から一歩前へ出た。
「彰人くん、桃也くんと喧嘩しちゃダメよ? 雅敏さんも気をつけて」
「分かりました」と微笑む彰人に重ねて、マサが「おぉ」と歓喜する。セナへの一方通行な愛は、まだまだ健在のようだ。
マサは左手を自分の頭に当てて破顔する。
「いやぁ光栄だな。セナさんが俺の為に見送りに来てくれるなんて」
あぁまた始まったと、京子と綾斗が顔を見合わせると、
「そのつもりよ」
予想外のセナの言葉に、聞き間違いではないかと耳を疑う。
しかし、それは言われた本人が一番驚いたようで、マサは呆気に取られた表情で、
「そう……なんですか?」
思わず聞き返すマサに、セナはきまり悪そうに頬を染め、きつく彼を睨み上げた。
「だから、待ってるから。きちんと仕事をしてきて下さい」
「セナさん……」
言葉を噛み締めて、マサは「はいっ!」と武者震いする腕を高く掲げた。
「よっしゃああああ!」
春を夏に変えてしまいそうな、熱く力強いガッツポーズだ。
「京子ちゃんも、ちゃんと伝えるのよ?」
セナにそっと耳打ちされ、京子はぐっと息を呑み込む。
「じゃあ、僕は先に下りますね。皆さん気をつけて」
女子二人の様子に気付いた綾斗が一足早く屋上を後にすると、「私も」とセナがマサの期待を裏切って屋上を後にしてしまった。
それでも彼女に手を振るマサは満足そうだ。扉が閉まるまでその背を見つめ、「じゃあな」とヘリへ乗り込んでいく。
「京子ちゃん、僕等に遠慮しなくていいからね」
彰人は悪戯っぽく笑い、「バイバイ」とマサの後に続いた。
シートに座った彼は窓の奥でもう一度京子に手を振り、反対の方向へと顔を向ける。
桃也と二人きりになってしまった。
笑顔で送り出す予定だったのに、いざその時が来ると何も言葉が浮かばない。
泣くまいと思うと、彼の顔を見ることさえ出来なかった。
出発の時間だ。
ヘリのエンジン音に急かされて、刻々と迫るその時に焦りを覚える。
行かないでと言ったら彼を困らせてしまう。淋しいと言ったら、きっとそのまま泣き崩れてしまうだろう。
答えを求めるように視線を上げると、桃也が「どうした?」と京子を待った。
――「一年は短くなんかないのよ?」
後悔の無い様に、セナは気丈にマサを送り出した。彼女もまた同じ想いだったのかと思うと、泣くわけにはいかない。
「とう……や。気をつけてね」
口を開くだけで目頭が熱くなる。
それだけ言うのが精一杯だった。歪んだ視界に人差し指を押し付けると、桃也の短い溜息が耳に届く。
「ばーか」
吐き捨てるような声に顔を上げると、呆れたような表情が京子を見つめていた。
「ったく。そうじゃないだろ?」
桃也は組んだ腕を解き、「ほら」と微かに笑って見せる。
広げられた腕に涙が流れ、京子は飛び込むように彼の胸へ顔を埋めた。子供のように声を上げ泣きじゃくる京子を、桃也は強く抱きしめる。
「一人で無理するなって言っただろ?」
「淋しいよ。行かないで」
それが叶えられないことだと分かっている。だから、口にする事が出来なかった。
「たまに帰ってくるから、一年だけ我慢してろ。そしたらずっと一緒に居てやる」
縋りつくように彼の上着を握り締める。
うっすらと鼻腔をくすぐる彼の匂いを名残惜しく感じた。
「ちゃんと帰ってきてね」
「あぁ。お前も元気でいろよ」
見上げる彼の顔に、涙いっぱいの笑顔で「うん」と答える。
最後のキスは、ほんの僅かの時間だ。
お互い見合わせた顔に微笑んで、もう一度きつく抱きしめ合った。
エピソード1~END~
エピソード2へ続く
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