『無事だよ』という修司からのメールを何度も見返して、美弦はスマホをポケットにしまった。相変わらずの平和な屋上に出て、海の向こうを見据える白髪頭の男に声を掛ける。
「平野さん、交代ですよ」
「おぅ。何かあったら呼べよ」
今本部に居るキーダーは二人だ。平野が来てくれたお陰で心にも身体にも少し余裕ができた。
コージのヘリは敵襲を考えて別の場所に待機させてある。
日付が変わり、屋上の緊張は緩んでいた。対岸の灯を双眼鏡で覗いては、若い施設員が「すげぇ」と歓声を上げている。
「ちょっと貴方たち、不謹慎よ! もう少し黙りなさい!」
「す、すみません……」
苛立ちのままに注意すると、当事者の若い男が「ひっ」と肩を竦めて頭を下げた。
「ずっと待機だから気が緩むのも分かるけど、こっちがいつ向こうみたいになるかも分からないんだし、もう少し緊張感持って──って、くしゅん」
話の途中で、込み上げたくしゃみを豪快に響かせる。
美弦は羽織った外套の前をぎゅっと締めた。室内と外の温度差に身体が敏感になっている。
寒さに慣れない10月の深夜は想像の10倍冷えた。下で走り込みでもしようかと思うが、こんな時が敵に狙われるタイミングな気もしてしまう。
「油断しちゃ駄目」
自分の顔をパチリと叩くと、甘い匂いが横からフワリと鼻を突いた。
「お疲れ様。とりあえず糖分とって、身体冷やさないようにね」
「平次さん!」
食堂長の平次がコック服に施設員と同じジャケットを羽織った姿で現れ、大振りのポットを紙コップに傾けた。「寒いね」と差し出すのは、湯気の立つココアだ。
美弦は「ありがとうございます」と受け取って、ふうと息を吹きかけた。少しずつ口に入れると、いかに身体が冷えているのか良く分かる。カロリーのあるものを口にするのは数時間ぶりで、張り詰めていたものが溶けていくような気がした。
「美味しい」
「美弦ちゃんに合わせて甘めに作ってきたよ。そろそろ何か動きがあってもおかしくない頃だろうし、調子整えておかないとね」
平次は「頑張って」とエールを残して、他の施設員たちにココアを振る舞って回った。
異変が起きたのは、そのすぐ後だ。
外を見張りながら美弦がココアを飲み干すと、静まり返った風景にエンジンの音が響く。
乗り出すように目を凝らすと、一台のバイクが煌々と明かりを灯して正門から入って来るのが見えた。
「誰……?」
門には護兵が二人待機しているが、バイクがそこで止まったのは一瞬だ。制止を振り切った訳でもなさそうだが、強めのヘッドライトに隠れて詳細が掴めない。
美弦の側にいた大柄の護兵が、訝し気な顔で肩から銃を下ろした。
地上へ向けて構えようとしたところで、美弦は「大丈夫」と手を伸ばす。
後部座席からひょいと飛び降りた人物がヘルメットを外したからだ。
「私、ちょっと下に行ってきます」
白髪頭でキーダーの制服を着る彼は、紛れもなく大舎卿だった。
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