明け方の夢に弟が出てきた。
今日の予定を考えれば自然な事かもしれないが、どうせなら別の夢であって欲しかった。
まだ小学生だった自分が部屋で本を読んでいる光景は、もしかしたら忘れていた実在の記憶なのかもしれない。昔、夢中で読んだ漫画だ。神様の力を持った主人公になりきって、まだ小さかった弟の春隆と良く一緒に遊んでいた。
ある日、いつものように戦いごっこをしていた時だ。
自分が主人公と同じポーズで、春隆へ向けて呪文を唱える──勿論そんなのは遊びの一環で、フリをしただけのつもりだった。なのに指先から本当に光が出て、弟の腕をかすめたのだ。
自分でも驚いたけれど、親はそれ以上だったんだと思う。
あの時弟を抱き締めた母親が見せた、化け物を見るような目がいまだに頭を離れてくれない。
義理だとは言え、母親が好きだった。
なのにそれからの彼女は態度を豹変させ、自分はいつも怯えていた。父親は穏やかな人だったが、時にパニックを起こす彼女に疲れた顔を見せる事が多くなる。妻と義理の子供を天秤に掛けた答えは明確だった。
家にはもう味方は居ない事を悟って期待することをやめると、少しだけ心が軽くなった。
「元から本当の親じゃないしな」
そっと吐き出して、忍は身支度を整える。
外は雨だ。夢のせいで鬱々とした頭には丁度良い。
「兄さん、久しぶり」
待ち合わせの駅へ行くと、先に着いていた春隆は笑顔で忍を迎えた。
温厚で、育ちの良さがわかるボンボンの風体は、靴の一つをとっても良く分かる。皮肉しか思い浮かばないが、忍は敢えて『兄』を振る舞った。
「何年ぶり? 俺に用なんかないだろ?」
「2年かな。父さんと母さんが会いたいって言ってるよ? 一度家に来て貰えたら嬉しいんだけど」
春隆の目が忍の耳のピアスを捕らえて、笑顔が一瞬陰ったのを見逃さなかった。
「いや、遠慮しとく。もう鈴木家とは縁を切ったんだ、俺なんかが行ける場所じゃないよ」
会いたいなんて良く言えるものだと思う。
こちらから一方的に縁を切った理由を鑑みた後ろめたさでしかないだろう。円満な別れだったと納得したいのだ。
今更一度や二度会ったからと言って、修正が効くような関係でないのはお互いに分かっている筈だ。
「会うつもりはないよ。お前ももう俺の事なんて忘れろ」
「──分かったよ」
その返事が、いつもとは違う音を響かせる。
ハッとして弟を見上げると、冷ややかな視線が殺意でも宿すように光って忍を見据えていた。
「春隆……?」
「縁を切ったんだから、それで構わないよ。けど、会社には迷惑を掛けないでくれる?」
「────」
「社内には、高橋さんを助けた兄さんの味方をする人間も居るって聞くけどね」
弟はいつから変わってしまったのだろう。
家を出た時も、最後まで止めてくれたのは春隆だった。なのに今そこに居るのは別人のようで、自分の知っている弟じゃなかった。
「まぁ、そうだよな」
これから大会社を背負う立場で、こんな兄の存在は邪魔でしかないだろう。
出生検査を受けなかったバスクが成長途中でアルガスへ入る事は珍しい事じゃない。なのに能力者自体を拒絶して、忍をアルガスに届け出そうとしなかった鈴木家の両親は今どんな思いをしているのだろうか。
──『絶対に言っちゃ駄目よ? 黙ってさえいれば幸せになれるわ』
そんな上っ面だけの言葉に縛られた成れの果てが今の自分だ。
牢獄と呼ばれてはいたが、解放後のアルガスに連れて行って貰えていたら──もう少し他人に対して優しくなれたと思う。
「迷惑なんて掛けないよ。じゃあね」
これ以上話す事は何もない。
忍は傷の隠れた春隆の腕をトンと叩き、人の多い改札へ向かった。
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