忍が開けた穴の縁を掴んで、桃也は必死にしがみつく。
ぶら下がった状態から屋上の様子は分からず、踏まれた右手の感覚はもう殆ど麻痺していた。
──『今日は君の誕生日だろ?』
まさかそこに合わせて来るとは夢にも思わなかった。
『サヨナラ』の言葉を残した忍は、地面に盛大なダメージを刻んで去って行く。屋上の床が再び崩れるのは時間の問題だ。
忍はこの状況を楽しんでいるのだろうか。だとしたら、どこかでこの無様な姿を笑って見ているのかもしれない。
「アイツ……ふざけるなよ」
高所からパラシュートなしで降下する訓練は幾度となくしてきたが、着地点の様子が闇に隠れて見えない。予測のつかない状況は、難易度が跳ね上がる。
「ここで死ぬわけにはいかねぇんだよ」
闇の底からは、風の抜ける音が不気味に響いた。
破壊のエネルギーに仲間が危機を読み取るのが先か、床が落ちるのが先か、体力が尽きるのが先か──
「一か八か跳んでみるか?」
何もしないまま終わってしまうよりも、自分の運と生命力に賭けたい。
成功を祈ってぎゅっと目を閉じると、何故か懐かしい風景が頭を過って行く。
「俺に走馬灯を見せる気かよ」
まだキーダーになる前の、京子と過ごした平和な記憶だ。
「桃也」
思い出は残酷だ。
すべて終わらせたはずなのに、頭に響く彼女の声が昔の自分を誘ってくる。
「京子……」
「桃也!」
桃也はハッと目を見開いた。
辺り一面にさっきまでなかった気配が満ちている事に気付いて、同時に彼女の姿が視覚の全てを支配する。
「桃也、助けに来たよ!」
「京子!」
温い肌の感触が桃也の右手を掴む。
「足元を能力で固めたから、今引き上げるよ!」
「その方法があったか……」
「そんなに長くはもたないから、しっかり掴まって!」
念動力の応用だ。
急な情況を飲み込んで、桃也は京子の手を握り締めた。声に合わせて左手を添えると、身体がずるりと屋上へ滑り込む。
「助かった、ありがとうな」
「ううん、桃也がこんな事になってて心臓止まるかと思ったよ」
桃也が穴に引っ掛かる足を引き寄せて、体制を整えた時だ。視界の端で、何かがキラリと光ったような気がした。
京子が桃也の手を握り締めたまま「あぁっ」と悲痛な声を上げる。
「何だ? どうしたんだよ」
突然の叫び声に耳がキンと響く。また忍が現れたのかと警戒したが、京子はふるふると首を震わせて思いがけない言葉を口にしたのだ。
「指輪が……」
呆然とする京子に、桃也は「はぁ?」と眉を寄せた。
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