24歳の誕生日に食堂長の平次が用意してくれたのは、京子がリクエストしたショートケーキの入った正月色満載の豪華なランチだ。
予定の確認が甘かったと謝って、平次はケーキの上に三つもイチゴを乗せてくれた。
「京子ちゃん、本当にごめんね。ケーキ多めに作ってあるから、良かったらたくさん食べて行って」
「私もちゃんと伝えておかなくてすみません。平次さんのケーキ大好きだけど、そんなには食べれませんよ」
「そう言わずに。ね?」
平次は申し訳なさそうに眉尻を下げたまま、雑煮の入ったお椀を置いて厨房へ戻って行った。
今日勤務しているキーダーは綾斗だけだったが、外出中らしい。出勤の施設員に代わる代わる誕生日と正月の挨拶をされながら食事を済ませ、京子は一度デスクルームへ向かった。
二つ目のケーキに手を出してしまった結果、案の定動きが鈍い。
「食べ過ぎた……」
パンパンのお腹に後悔する。暫く休んでから帰ろうと机に伏せていると、程なくして綾斗が戻って来た。
「あれ、京子さん来てたんですか」
「あけましておめでとう、綾斗。今年も宜しくね。平次さんにランチ食べに来てって呼ばれたの」
「こちらこそ。誕生日もおめでとうございます」
「ありがと」
「来るの知ってたら一緒に食べたのに」
「うん、残念。急だったからね」
綾斗は眼鏡を真っ白に曇らせながら外套を脱ぐ。
桃也と別れた事を言おうかと考えて、京子は気まずさを募らせた。
「そういえば、綾斗に会うの久しぶりじゃない? メールは何回かしてたけど」
「ですね。こんなに長く空けたのは初めてです」
クリスマス前から年末休暇をとった綾斗は、同じく休暇中のやよいの代打を兼ねて北陸支部へ行っていた。そのまま福井へ帰省して、昨日の夜に戻って来たらしい。
「仕事で困った事とかなかったですか?」
「あったあった。報告室のオジサンたちに議事録頼まれてテンプレート見つからなかったり、朱羽から頼まれた書類が迷子になってたり」
「電話くれても良かったんですよ?」
「少しは頑張ろうと思って。けど、綾斗の偉大さを痛感した」
「大袈裟です」
「ううん、いつもありがとね」
いつも困ったことがあると、綾斗は大抵すぐに答えをくれる。
それに慣れてしまったしっぺ返しだ。
「やよいさんには会えなかったんでしょ? マサさんや久志さんは元気だった?」
「はい。久志さんにはたくさんご馳走してもらいました」
「へぇ羨ましい。蟹食べて来たんでしょ? 本当に久志さんて綾斗が可愛いんだね」
「そうみたいですね」と苦笑いする綾斗に忘れていた仕事を思い出して、京子は腹の所にある引き出しを開けた。
「綾斗にサインしてもらいたい書類があったんだ──あっ」
「どうしました?」
ぺらりと一枚の書類を取り出した所で、まだ記憶に新しい白い袋が目に飛び込んできた。
近くの眞田神社で買ったお守りだ。サードになるだろう桃也に渡そうと思ったまま、入れっぱなしになっていた。
ペンを手にやってきた綾斗が京子の手元を覗き込んで、「あっ」と声を漏らす。
「まだ渡していなかったんですか? この間来た時に、てっきり」
「忘れてた……」
あの時は『飛び乗り大作戦』で頭がいっぱいで、お守りを買った事すら頭から抜けていた。
「そうだったんですか。じゃ、今度会った時に──」
「ねぇ綾斗」
「はい?」
綾斗を誤魔化せないことくらい自覚している。
けれど、その事を伝えようとした途端、昨日の夜から今の今まで泣かないようにと務めた涙が溢れそうになった。
「だめ」
ここで泣いてはいけないと、自分に言い聞かせる。ぎゅっと込めた力を声とともに吐き出した。
「私ね、桃也と別れたんだ」
「えっ……」
「恋人じゃなくなった、って意味だよ」
眼鏡の奥の瞳が大きく見開いて、京子は苦笑して肩をすくめる。
「昨日って。桃也さん来てたんですか?」
「うん。会ったのは少しの間だったけど」
「もう戻ったんですか?」
「今日、夕方の便で九州に行くんだって。見送りに行こうかなんて話したけど、そんな気持ちにはなれないよ。私は……」
「行きましょう」
綾斗は脱いだばかりの外套を羽織って、京子を外へと促す。
「行くなんて無理だよ」
「夕方の便ならまだ間に合いますよ。俺、送るんで」
このお守りを届けたい気持ちはある。これから大変な時期に入る彼を応援したいとも思う。
けれど遠ざかる背中を見送る別れ際の切なさを思うと、気持ちが前に進まなかった。
「キーダー辞めて結婚しようって言われたんだけど、私は銀環外せなかった。ここに残るって決心がついたのに、桃也に会ったら付いて行きたいって思うかもしれないでしょ?」
「そうしたいなら、すればいい。そんな事言ってる時点で、気持ちがブレてる証拠ですよ? もう会えない別れなら構わないけど、桃也さんは仕事仲間です。桃也さんのために買ったそれが手元に残ってたら、見るたびに思い出すじゃないですか」
「綾斗……」
「ギクシャクされたら周りが気を遣うんです。だから、別れるならちゃんと終わらせて下さい」
お守りを見つけて、桃也の顔が浮かんだのは事実だ。
まだ彼に未練があるから、指輪を整理したかった。このお守りも同じなのかもしれない。
「空港でなんて会えるかな」
「とりあえず行ってみましょう」
「どうぞ」と差し出されたコートを受け取って、京子は「ありがとう」と頭を下げた。
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