下手なハッピーバースデーを聞かされて、このまま京子を抱き締めたかった。
けれど、広げた両腕は彼女に触れる前に下へ落ちる。
「ありがとうな」
精一杯作った笑顔でもう一度礼を言った所で、ふと背後の気配に気付いた。
制服姿の久志が、階段の手前から「やぁ」と手を上げてやってくる。
「凄い気配がしたから心配して来てみたけど、タッチの差で京子ちゃんの方が早かったね」
「久志さん……ありがとうございます」
久志は「いいよ」と風に乱れた髪を耳に掛けた。
屋上に空いた穴を覗き込んで「うわぁ」と顔をしかめ、「そうだ」と京子を振り向く。
「アッキーがテントで京子ちゃんの事探してたよ。行ってあげて」
「アッキー? 誰だ?」
「彰人くんですか? 分かりました、向かってみます。二人ともまた後で」
聞きなれない言葉に眉を顰める桃也を置いて、京子が階段の方へ走っていく。そして鉄扉に手を掛けた所で、くるりと踵を返した。
1人で何かを納得した様に「いっか」と呟き、今度は逆向きに走り出す。
京子は屋上の端まで移動し、躊躇いもなくヒョイとフェンスを飛び越えた。
「京子、ここ四階──!」
桃也の慌てた声も空しく、数秒置いて着地音が届く。フェンスから恐る恐る下を覗き込むと、フィールドを走る彼女の背が見えた。
冷や汗をそっと拭うと、久志が「無茶するよね」と横に並ぶ。
「無防備だし、天然って言うか。彼女を好きだって人はさ、そういうトコ全部受け止めて支えてあげたいって思うのかな」
「……そうですね」
意味深な顔で覗き込んで来る久志に、桃也は否定する言葉が見つからなかった。
キーダーになるまでの自分はそうだったと思う。彼女を支えてずっと一緒に居られたらいいと思っていたし、「ありがとう」という笑顔を見れるだけで何でもできる気がした。
キーダーになっても、そうやって隣にいれたらいい──きっと今の綾斗が理想だった。けれど今そのポジションに着きたいかと言われると、答えに戸惑ってしまう。
そんな桃也の気持ちを汲み取って、久志が「けどね」と続けた。
「僕にはそういうのできないかな」
「……はい?」
「さっきの見てたよ。まだ彼女に未練残ってる?」
「ちょっ……久志さん?」
「タッチの差だったって言ったでしょ? 京子ちゃんの手際が良くて、声掛けるタイミング逃しちゃったんだよね」
ということは、全部見られていたという事か。
迂闊だった。忍の気配が消えて、京子と二人きりだと思っていた。
それが彰人なら文句の一つも言えるが、久志相手にそうはいかない。
「未練は残ってないです……」
「そういうトコ、僕に似てるなって思うよ」
「俺が久志さんにですか?」
久志は仲間の戦うフィールドを見渡し、流れていく雲を見上げた。
「僕、昔好きな女の子が居たんだ」
屈託のない笑顔を広げて、久志はまさかの恋愛話を始めた。
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