「そういや、ホルスってどんな意味なんだ?」
缶コーヒーを啜りながら今更のように聞いて来る松本に、忍は「言わなかったっけ」と立ち上がり、書棚から一冊の本を手に取った。
表紙の焼けた年季が入った状態に松本は眉をしかめ、「何だ?」と受け取る。
「昔流行った漫画だよ。流石に俺も夢見すぎって思うけどさ、今更変えられないだろ?」
忍は自嘲して肩を竦めた。
小さい頃夢中で読んだその漫画は、後にアニメにもなっている。春隆と『ごっこ遊び』をしていたのもこの本が発端だ。
神の力を手にした少年が悪い敵を倒すという設定自体はありふれたもので、よくもまぁあんなに食い付いて読んでいたのかと不思議なくらいだ。
そんな本に出て来る神の名前がホルスだった。
神にあやかって自分たちをそう名付けてみたが、そんな大それた事をしている自覚はない。
「巷ではこんなのが流行ってたのか」
松本はバラバラとページを捲る。それが流行っていたのは、松本がもう大人になってからの事だ。アルガスは解放前もテレビは自由に見れたと言うが、流石に子供向けのアニメには興味ないだろう。
「まぁ名前なんて呼ぶ為のものだしな、俺たちだって分かれば良いだろ」
「そこまで適当に付けた訳じゃないけどね」
忍は松本の手から本を奪って、棚に戻した。
まだ夢の余韻が抜けず、珈琲を流し込んで溜息をつく。
「俺は洋の事引きずってるんだよ。夢見て気付いた。だからアイツの残してくれたものは俺たちがのし上がる為に、大切に使うつもりだ」
「俺が全部引き受けても良いんだぜ?」
「ヒデに渡したらすぐ無くなるでしょ。この間の分だって、もう残ってないんだろ?」
「取っておける性格じゃないって分かってるだろ?」
「分かってるよ」
薬は松本をホルスに繋ぎ止めておく手段だ。
最初はそんなこと考えもなかったのに、彼の身体が蝕まれていく中で薬の切れ目が縁の切れ目に思えるようになった。
手元の薬には底がある。薬が無くなるのが先か、それとも彼の命が尽きるのが先だろうか。
「ヒデにまで死なれたら困るんだよ」
──『これは強い薬です。一気にたくさん飲んだら、最強で最弱の戦士を生み出すことになる。だから注意して下さいね』
薬ができた時、洋から最初に言われた事だ。
──『毎日1つずつもダメ?』
──『駄目です。命が持ちませんよ。薬というのは、決められた量を守ってこそ効果が発揮できるものなんですから』
「ヒデ、最近調子良さそうに見えるけど、実際はどうなの? 無理してるよね?」
「してないよ」
今、目の前に最強で最弱の戦士が居る。
「俺にとってヒデは大切な人なんだ。だからもう少し我慢して」
──『俺がお前の側に居てやる』
忍が高橋を救ったように、小学生だった忍に手を差し伸べてくれたのが松本だ。
彼が居なかったら、今自分はこの世に居ないと思う。
忍は壁際の引き出しから錠剤の入ったジッパーを取り出した。
普段寄り付かない松本がここに来た理由は、この錠剤に尽きるだろう。高橋が残した薬は残り100錠。後は解毒剤があるだけだ。
「もうこれしかないんだよ」
松本の目が理性を失ったようにギラリと光る。
素早く伸びた手を忍が「駄目だよ」と掴んだ。
「戦いが終わって、もし残ってたら全部あげるからさ」
松本は忠犬じゃない。
未だにアルガスに居た頃の話をする彼を最前線に送ろうとする自分は、阿呆だと分かっている。
いつ裏切られるかもしれない。
それでも。
「約束だぞ」
素直に諦める松本に期待ばかりしてしまう。
松本が居なくなったら、もうホルスは終わりだ。
短い未来への結末を予感して、忍は「あぁ」と微笑んだ。
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