夜の訪れと共に戦いが始まった戦場は、海側からの朝陽ですっかり明るくなっている。
更地と化した廃墟は、地下だけを残して大きく陥没した状態だ。
疲弊や衰弱で引き起こされた暴走が、発動した能力者に与えるリスクは大きい。穴の手前に倒れる忍から立ち上るのは、一筋の煙のような儚い気配でしかなかった。
そこへ急ぐ理由がなかったのは、彼の運命がもう戻る事の出来ない場所に在る事を悟ったからだ。
「ここを墓場に選んだのか?」
広い戦場を見渡して、宇波が忍に語りかける。どんどん側に近付こうとする彼を、マサと|朱羽が「長官」と後ろへ促した。
忍からの反応はない。
京子が「忍さん」と声を掛けるが、返事はなかった。
薄っすらと開いた瞼の奥に見える瞳はぼんやりと空を見るばかりだ。暴走の衝撃で左の眉から血が流れている。
終わりの時を受け入れようとしているのだろうか。もし彼が今すぐに負けを認めてアルガスの保護下に入ったとしても、待っているのは監獄での日々だ。
恋人でも家族でもない立場の自分が彼に「死んで欲しくない」と言うのは無責任な事だと思う。
「けど、それでも私は忍さんに──」
「行かせてよ、京子」
生きて欲しいという気持ちを言葉にさせて貰えなかった。
漂っていた彼の目がゆっくりと京子を捕らえる。
「終わる覚悟はできてるよ」
「やりたい事やって、罪を残して死のうなんてズルいですよ」
忍の罪は大きい。
浩一郎や他のバスクがしてきた事とは比べ物にならない。
「俺が大人しく牢屋に入ったとして、反省なんてしないよ。今、やり遂げた達成感でいっぱいなんだ」
「ふざけんな! お前のせいで佳祐さんややよいさんは死んだんだぞ!」
桃也が声を震わせる。佳祐をホルスに引き込んだのも、彼にやよいを殺させたのも忍だ。
結果、ホルスに加担して仲間殺しをさせた罪で佳祐も粛清対象になった。
桃也が怒りと焦燥を滲ませて宇波を伺うと、アルガス長官の彼はいつもの穏やかな表情を消して無言のまま頷いた。
「良い判断だね」と忍が笑う。
「百害あって一利なしって言うだろ? こんな男生きていたって無駄だよ。だから、京子がやってくれる?」
桃也が他のキーダーを振り向く前に、忍が京子の居る方へ顔を傾けた。
「お前は支持できる立場じゃねぇんだよ」
桃也は声を荒げるが、京子は自分の胸を押さえて「私がやる」と前へ出た。
死の選択が彼の罪を消せる訳もなく、彼が救われる訳でもない筈だ。
──『俺を殺してよ』
その言葉をもう回避することはできない。
覚悟を決めたつもりの手が震えて、横で綾斗が「俺がやるよ」と主張する。けれど「ううん」と断った。
綾斗の顔色があまり良くない事には気付いている。平気だと言って戦場へ戻ってきたが、隔離壁の生成で力をほぼ使い切ってしまったようだ。綾斗の暴走をすんでの所で銀環が食い止めている。
美弦も「駄目ですよ」と釘を刺した。
「松本さんに、綾斗さんへ『無理するな』って伝えてくれって言われたんです。私だってやれますから!」
「松本さんが……?」
「なら余計に綾斗はじっとしてなきゃ。大丈夫、私は二人の先輩だからね」
久志の常套句を真似ると、本人が「セリフ取らないでよ」と苦笑いした。
「桃也、私にやらせて」
「京子……」
桃也は暫く黙っていたが、「分かったよ」と頷いた。
京子は仲間をぐるりと見渡し、忍の横に膝を落とす。穏やかな顔の忍と目が合って、涙が零れた。
忍は胸の上に乗った京子の手をそっと握り締める。
「冷たくなってる。こんな冷える朝だもんね。コーヒーを渡してあげられたら良かったのに」
「忍さん……」
横に立った美弦が、忍を見下ろして本部での事を伝える。
「松本さんの最期は穏やかでした。貴方に悪かったって言って亡くなったんですよ」
「そっか。向こうで会えると良いんだけど……」
静かに目を閉じた忍は笑っているように見えた。
京子は心の中で「さようなら」と呟く。彼の意向に沿って力を発動させようとするが、力を込める寸前に彼の意識が途絶えた。
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