「集中させて」と久志に頼まれ、京子たちは1人ずつ順番に技術部の部屋へ入った。
もうずっと使われていなかったその部屋に踏み込むのは、もしかしたら初めてかもしれない。
もぬけの殻状態の部屋に古い作業台や机が空のまま残されていて、久志の持ち込んだ荷物や工具が散らばっている。
京子は作業台の前に並んだ丸椅子に、久志と並んで腰を下ろした。
「久志さんは、この部屋で仕事してた時代があるんですよね?」
「そうだよ。僕が初めて藤田のオッサンに会ったのもここ」
懐かしむように目を細めて、久志がテーブルに乗せた京子の左手を下から掴んだ。少しひんやりとした大きな手だ。お互いに気配は消していて、それを感じ取ることはできない。
久志は銀環と肌の間に鉄の細いドライバーのようなものを滑りこませ、小さな金属音を鳴らしながら作業に集中する。
藤田の事や北陸の事、そして今回──と話したいことは山程あるが、京子は静かに彼を見守った。
「よし、できた」
最後に久志は能力の気配を膨らませて、両手で京子の銀環を包み込む。銀環を結ぶ時と似た作業だ。
京子の前にこの部屋に入った美弦は15分程掛ったようだが、京子が来てからはまだ5分しか経っていない。思いの外あっさりと済んで、「終わりですか?」と拍子抜けしてしまう。
「うん。気分悪いとかない?」
「はい。特に変わった感じもありません」
浩一郎の所へ行った時も、最初は何ともなかった。これからあの症状が出るのかと思うと構えてしまうが、そんな表情を覗き込んだ久志が「大丈夫だよ」と触れていた手を離した。彼は顔に掛かった髪を耳に掛けて、優しく微笑む。
「ただちょっとだけダルくなるかもしれないから、本番まで無理しちゃ駄目だよ?」
「気を付けます。じゃあ、次修司なんで呼んできますね」
「頼むよ。あ、それと……ちょっと待って」
立ち上がる京子を久志が呼び止める。
衝動的なものだったのか、京子が「はい?」と首を傾げると、久志は少々戸惑うように唇を噛んだ。言い辛そうに短く唸って、「あのね」と京子を見上げる。
「京子ちゃんは、綾斗が好き?」
「え? どうしたんですか急に。好き──ですけど」
その意図はさっぱり読めない。久志も「なら良いんだ」とにっこりと締めてしまう。
「綾斗の事、頼むよ?」
「……はい。私の方が頼ってばかりですけどね」
「それで良いよ。ごめんね、引きとめちゃって」
「気にしないで下さい」
久志はまだ何か言いたげな顔をするが、それ以上は言わなかった。
京子も追究はせず「ありがとうございました」と部屋を出る。
昼間騒がしかった廊下は、自分の足音が響く程にシンと静まり返っていた。
修司を呼びに階段を下ると、2階の廊下の手前で修司本人が誰かと話をしている声が聞こえた。
「お願いします!」
主張が強めの音に、京子はビクリと肩を震わせて柱の陰に入り込む。
隠れる理由なんてないが、反射的に気配を抑え込んだ。
相手の姿は見えなくとも、声ですぐに分かる。
「そういう事か」
桃也だ。
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