アルガスの中で悪い事が起こりそうな予感がしていた。
けれど、具体的にそれが何であるかなんて想像は付かないし、そこへ至ったきっかけがあったわけじゃない。ただ漠然と感じていた不安は妄想に過ぎないのだろうか。
窓辺で顔を強張らせる久志を覗き込んで、キイがその返事をじっと待った。
通話を終えた様子から、これが異常事態な事に彼女も気付いている。
「昨日から家に帰ってないみたいなんだ」
頭の整理が追い付かないまま、久志はその事実を告げた。
「昨日から?」
「あぁ。如月さんには宿直だって言ってるらしい。アイツはどこ行ったんだよ」
旦那に嘘をついてまで、やよいはどこで何をしているのだろうか。
「男……? いや、アイツに限ってそれはないか」
ふと浮かんだありきたりの線は、即効で除外する。やよいはあぁ見えて旦那とは仲が良い。だからその関係を彼女が自ら壊しに行くとは思えないし、そうあって欲しくなかった。
「何なんだよ、やよい……」
十年以上の付き合いがある彼女とは必要な時に連絡が取れなかった事はないし、時間を守らなかったりすっぽかされた記憶もない。
今日は昼前に修司が本部を発って北陸へ来る予定になっている。事前の打ち合わせを含めて、やよいにはせめてその頃までには来て欲しい。
「えぇい、奥の手だ」
足で探す時間は無駄な気がして、久志はまずやよいのスマホに連絡を入れた。
しかし依然として応答はなく、メールの既読もつかない。そして次に別の番号を呼び出した。
『久志さん?』
疑うような声で電話に出たのは、東京にいる朱羽だ。
「朱羽ちゃん、今事務所に居る?」
『いますけど……こんな朝早くにどうしたんですか?』
早口になる久志に、朱羽は驚いている様子だ。彼女に電話する事なんて滅多にない。
「ごめんね、説明は後でするから。パソコンでみんなの位置情報見て貰えるかな?」
『銀環のGPSってことですか? 構いませんけど、ちょっと待って下さいね』
アルガスの情報管理をしている彼女のパソコンから、本部の地下にある制御装置のデータを閲覧することができる。位置情報の確認だけなら、本部よりも彼女に聞いた方が早い。
回線の向こうでキーボードを叩く音が聞こえる。
久志は緊張を走らせつつ彼女の準備を待った。
『出ましたよ、何を知りたいんですか?』
「やよいは今どこにいる?」
『やよいさん?』
「居なくなったんだ。今日は修司がこっちに来るだろ? 電話にも出ないから困ってるんだよ」
『へぇ。けど、やよいさんの位置情報、支部の所にありますよ? あぁけど若干上かしら。北へ一キロは離れていないと思います』
「えっ。そうなの?」
銀環に付いたGPSは、広い範囲で誤差があるのは承知している。それでも遠くない場所に彼女が居ると知って、久志はホッと安堵した。
秘密の特訓でもしているのだろうか。
「他のメンバーもちゃんと支部に居る?」
『そうですね、皆さん支部の側には居ますよ。桃也さんは国外ですけど』
「彼はいいよ。それで、佳祐も九州に居るの?」
『はい。福岡に付いてます』
取り越し苦労だろうか。
「わかった。ありがとね、朱羽ちゃん」
通話を切って、久志は立ち上がる。表情は晴れないままだ。
昨日、焼却炉で覚えた不安は、ただの思い過ごしだろうか。
あの時嗅いだのは、佳祐が昔吸っていたタバコの匂いだ。当時はマサも真似していたが、合わないと言って別の銘柄に切り替えているし、二人とも今は吸っていない。
それに、佳祐が九州から黙って来る理由も考えられない。
「やよいに会いに? まさかね」
頭の中がうまく整理できない。
「ちょっと探してくるよ」
久志は白衣を掴んで「大丈夫だよ」と不安がるキイに声を掛けた。
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