平次の料理教室に参加すると言ったのは、今まで何もしてこなかった自分が『少しは料理が出来るようになった方が良いかな?』という前向きな考えからだ。
決してバレンタインに配るチョコレートを作る為じゃない。
「それゃ美弦は本命が居るんだから、修司に手作りをあげればいいよ。けど、私が作ったチョコを義理で配るなんて、誰も喜ばないって。買った方が絶対に美味しいもん」
「別に、京子さんも本命チョコ作って構わないんですよ?」
「いないもん。そんな相手……」
修司の分は別として、たくさん作ってアルガス中に配るのが美弦の目的らしい。
チョコを手作りしようなんて今までの人生で考えたこともなかった。
デパートのチョコ売り場には美味しいチョコが幾らでも揃っているのに、わざわざ作るなど菓子作りの好きな乙女のする事だと思っていた。
「逃がしませんよ」と京子の腕を掴んだ美弦と連係プレイでもするように、食堂から平次が現れる。
「聞き捨てならないね。僕が側に居て作るチョコを不味いだなんて言わせないよ?」
いつもの穏やかな笑顔でそんなことを言われると、背を向けるわけにはいかなかった。
アルガス本部の食堂長であり老舗和菓子屋の次男坊である平次が、有無を言わせぬ本気モードで京子を中へと招き入れる。
「けどもう少し昼の片付けが残ってるから、着替えしてこれ飲んでてくれる?」
「手伝いますか?」
「いいから。これは僕の仕事だ」
女子二人の前にホットチョコレートを並べて、平次は「待ってて」とカウンターの向こうへ行ってしまう。
たちこめる甘い香りに食欲は沸いてくるのに、作りたいという気持ちは全く起きないから不思議だ。
赤いマグカップを両手に持って、美弦がホットチョコにふぅと息を吹きかける。
「観念してください。私、京子さんと一緒に作るの凄く楽しみにしてたんですよ?」
「だったら最初からチョコ作りだって言ってくれれば、心の準備もできたのに」
「言ったら来てくれないかもしれないって思ったから」
確かにその通りになってしまう気がして、京子は「そうだね」と目を逸らす。
「ほらぁ。けどいつもはどうしてたんですか? 桃也さんとか、綾斗さんには?」
「だから何でいつも美弦の話には綾斗が出てくるの?」
「だって。仲良いじゃないですか」
──『好きです』
あの時の事を悟られないようにぐっと頬に力を込めて、京子は過去を振り返った。
告白の後も毎日顔を合わせているが、前と変わらず特に進展はない。ただ意識的に二人きりの時間は避けてしまっている気がする。
彼には毎年チョコを渡していたが、今まではハッキリ義理だという確証があった。
けれど今年チョコを渡す事は、あの日の返事になってしまうのだろうか。
「綾斗にはいつも義理だよ。桃也は一昨年まで渡してたんだけど、去年は渡せないまま賞味期限切らしちゃったから、自分で食べたの」
「そうだったんですか。すみません、変なこと聞いちゃって」
「いいよ。今からチョコ作るんだから、そんなにしんみりしないで」
熱めのホットチョコをいっぱいに飲み込んで、京子は袋から出したエプロンに腕を通した。料理教室だからと、張り切って買った赤色のエプロンだ。
腹を括る覚悟ができたと言うより、あまり深く考えずにやろうと思う。
「綾斗と言えばさ、毎年学校で幾つもチョコ貰って帰って来るんだよ?」
「ちゃんとチェックしてるんですね。嫉妬しちゃいます?」
「してません。見ようと思わなくても、目に入るんだもん」
綾斗と会って、今年は四度目のバレンタインだ。
まだ高校生だった最初の年に紙袋を抱えて帰って来たのを見て驚いたが、高校から持ち上がりで同じ大学へ入る同級生が多いせいか、その数が減ることはないまま毎年の恒例行事になっている。
「へぇ。綾斗さんカッコいいですもんね」
「──そう見える?」
「モテそうだな、とは思います」
あくまで客観的な意見だということをアピールして、美弦は飲み干したカップを「ごちそうさまでした」とテーブルに放した。彼女が締めるエプロンはシックな緑色だ。
「私、近くに居すぎるせいかな。綾斗の事よく分かんないんだよ」
「難しいですね。けど、私は綾斗さんの良いトコに京子さんが気付いてくれればいいなって思います。勿論、恋愛面でってことですよ? ところで……」
「そろそろ、どうぞ」
話の途中で平次が厨房から二人を手招いた。
「はぁい」と返事する美弦に、京子は続きを尋ねる。
「ところで?」
何か気まずい事を言われるのかと構えるが、彼女はまさかの事実を口にする。
「14日、彰人さんも本部に来る予定になってますからね」
「え……」
やっぱり帰ろうかなと背を向けた京子に、美弦は「駄目です!」と手を掴んだ。
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