土曜日の昼。
制服に着替えて研究所のキッチンに行くと、カイさんが椅子に座り、ダイニングテーブルの上のノートパソコンを操作しながら、電話していた。
とはいっても、カイさんも夢魔と戦うときの制服に身を包み、スティックをベルトに装着しているので、くつろいでいるわけではないことはすぐにわかった。
研究所はダイニングキッチンとリビングが繋がっているので、普段はここにいろんな人が出入りしているが、今日はカイさんしかいない。
突然、研究所の窓がカタカタと音を立て始めた。小さな風が何度も窓を叩く。
カタカタカタカタ。無数の音が研究所を包む。
風ならば通り過ぎていくはずなのに、ずっと何かを訴えるように風が吹いている。
気になって外に出ようとしたら、キッチン側から中に入ってきたトリコさんに手首を掴まれた。
「危ないわよ。普通の風じゃない」
行かないほうがいいということだろうか。
「夢魔の起こした風ですか?」
私が立ち止まったので、トリコさんは手を放した。
でも、夢魔は月の力をエネルギーに変えて活動するから夜が主な活動時間のはず。それに、夢主が眠っていなければ、夢魔は活動できない。
そこまで考えて、頭の中をリセットした。昨日見た黒い夢魔は新月の日にも活動していた。それに確か強い夢魔は夢主をぼーっとさせることで昼間でも活動できてしまうとも聞いた気がする。
「昨日の黒い夢魔たちと気配が一緒だわ。那津を呼んでるのかも……」
「わかるんですか?」
「わからないけど、芹沢が執着してるのは那津だわ。あきらめていなかったとしたら、ね」
私への執着というよりも、私にはカイさんへの歪んだ執着に感じられた。
芹沢は、もしかしたらカイさんの元に戻りたいのかもしれない。黒い夢魔を救うという大義名分はあっても、夢主を亡くした夢魔のように彷徨っているだけにも見える。
電話が終わったカイさんが開いていたノートパソコンをパタリと閉じた。
ピピピピピピピ。ポケットから大きな音がして慌てて、音の主を探す。制服に着替えた時に、通信機を装着せずにポケットにしまっていたことを思い出した。
私の横で、トリコさんは慣れた手つきで腕にはめた通信機の音を止めた。
この音は発信者が全員に聞いてほしい大切な話がある場合に鳴らされる。
椅子から立ち上がったカイさんが、話し始めた。鳴らしたのはカイさんだった。
「カイだ。みんな聞いてくれ。昨日、芹沢がここに来た理由だが──」
「那津をねらってたんじゃないの?」
トリコさんが口を挟んだので、カイさんの視線が私達のところに飛んできた。
「那津じゃない。芹沢は柚月の歌声を止めるためにここに来た」
カイさんは結論を先に言った。
「柚月よ。なんで私がターゲットになったのかわからないんだけど」
柚月さんは納得がいかない様子だ。
「研究所で夢魔を浄化、もしくは黒い夢魔を退治するための歌を歌える人間は、俺と音弥と柚月だけだ。誰かひとりでもいなくなれば芹沢に有利に働く。そして柚月が今回は新人の那津とふたりだったために、ターゲットになった可能性が高い」
トリコさんは真剣な表情でカイさんを見つめている。
空気が張り詰めているのがわかる。昨日まで見ていたキッチンやリビングが別の空間のようだ。
「私がいなくなっても、芹沢にとってそこまでのメリットはないわ。なのに、どうして……」
柚月さんは困惑しているようだった。それを察してか、トリコさんが静かに言った。
「カイを倒すにはカイの前に芹沢が出てこなければ出来ないからよ。カイと芹沢には力の差がある。その証拠に、カイがここに来ることがわかった時、すぐに撤退しようとしたでしょ?だから、カイに会わずに精神的なダメージを与えるために柚月から狙ったと考えるのが妥当ね」
カイさんがタブレットをトリコさんに渡した。ちらりと見えた画面には天気図が映っている。
「芹沢の計画では、柚月を倒して俺達がバタバタしている間に災害を起こし、研究所の存在自体を消す予定だったと思われる」
カイさんがタブレット上の天気図を指して、話を続けた。
「気象現象としては有り得ないスピードで低気圧が発達して台風になった。その上、上空で獲物を狙っているかのように移動せずに留まっている」
トリコさんは小さくため息を吐いた。
「私達の注意を逸らすために、わざわざ新月に黒い夢魔を引き連れてきたのは、そういうことだったわけね」
なんとなく話はわかったけれど、私からは何も言えないので成り行きを見守る。少しだけ部外者のような気がして居心地が悪い。
「今から台風を消す。芹沢が本気で災害を起こそうとしているなら、これだけで終わるとは思えない」
カイさんの目は鋭く、遠くを見据えている。
「確かに。私は賛成よ。でも、カイひとりには行かせないわよ」
トリコさんがタブレットをカイさんに返した。
カイさんは、またひとりでなんとかしようとしていたのだろうか。
急に心の中に小さな不安が生まれてしまった。
「芹沢がカイさんを倒そうとしているなら、カイさんが出ていかない方が……」
カイさんとトリコさんの表情が固くなっているのに気づいて、言葉を飲み込んだ。
まだ素人の私の発言は根拠が薄いし、説得力にも欠ける。すぐに発言を後悔した。
「私も那津の意見に一票」
通信機の向こうから柚月さんが援護してくれた。
びっくりして通信機を落としそうになり、慌てて掴んだ。
とはいえ、音弥さんが怪我で療養中なのに、カイさんなしで戦うことなんてできるのだろうか。
「那津、柚月もだけど、勘違いするな。守られるようなかっこ悪い戦い方をするくらいなら、研究所なんか立ち上げない。そうだろ?音弥」
「その通り」
声と同時に音弥さんがリビングに入ってきた。
「ちょっと!音弥?音弥がなんでそっちにいるの?病院は?」
通信機から柚月さんの焦る声。
「抜け出してきちゃった。悪いね」
「私はあんたに、実家に帰りたいから15時に病院に迎えに来いって言われてたのよ!まだ怪我が治ったわけじゃないのに、なに考えてんの!!」
柚月さんの困惑と怒りが混ざった感情が目に見えそうなくらい伝わってくる。
「カイも同罪よ」
呆れた顔でトリコさんが言った。それから、私の肩に手を置いた。
「もう何を言っても無駄みたいだからこいつらの話を聞いてやりなさい」
確かに、カイさんも音弥さんが来ることを知っていたみたいだし、計画的に脱走したとなると理由があるのだろう。
「まあまあ柚月、落ち着いて。うちのお姫様に呼び出されたんだから仕方ないでしょ。ね、お姫様?」
「誰がお姫様だよ」
カイさんがわざと不満げな表情を見せるが、音弥さんはなぜか満足そうだった。そして、カイさんに持たれかかりながら笑っている。でも、肋骨を手でさすっているので、痛みがあるようだ。
「音弥、そんな状態で、ここまでどうやって……」
さすがのトリコさんも驚いている。
すると、リビングにまたひとり。意外な人物が現れた。
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