月夜の歌は世界を救う

あめくもり
あめくもり

85.プライベート

公開日時: 2024年2月26日(月) 01:23
文字数:2,552

  研究所に着いてすぐに、駐車場から研究所の窓をちらりと見たが、誰もいないようだ。ここでカイさんや音弥さんに会ってしまったほうが気が楽かもしれないと思った。

 トリコさんに案内されて、セカンドハウスの入口へ行く。トリコさんが、先にリビングに入ったところで中から声がした。


「あれ?トリコさん今日は休みじゃなかったっけ?」


 音弥さんだ。


「俺もそう聞いてたけど」


 続いてカイさんの声が聞こえて、心臓がぎゅっと小さくなった。


「休暇だけど、今日はここに泊まることにしただけ。あと今日から俺はカオルだから、よろしく」


 トリコさんの発言に、ふたりが固まっている。私はトリコさんの後ろに立った。ふたりはソファーに座っていた。机にはノートパソコンが開いている。なにやら仕事の話でもしていたようだった。


「ちなみに今日から那津が一泊二日で滞在するけど、プライベートで俺のとこに遊びにきてもらっただけだから、気にしないように。じゃあ、那津、俺の部屋にいこうか」


 トリコさんが私をリビングから出るように促した。ただ、挨拶だけはしないと気持が悪かったので慌てて頭を下げた。


「こんにちは。今日、泊めさせていただきます」


「プライベートなんだから、そんな堅苦しい挨拶はいいよ。泊まるっていっても……」


 トリコさんはそこまで言って急に黙った。


「ま、いいや」


 トリコさんに肩を抱かれて廊下に出た。いつもなら気にしてなかったのに、カオルさんバージョンで触れられるといちいち意識してしまう。


「ちょっ、トリコさん、那津がトリコさんの部屋に行くって…」


 音弥さんが慌てて立ち上がった。


「プライベートな話だから、君たちには関係ないでしょ」


 トリコさんが軽く左手を上げて、ふたりに背を向けた。私は何も言うことができずに、そのままトリコさんに従った。


「ちょっとは悩めばいいわ」


 トリコさんが小声で言った。


「今から行くのは俺の部屋だけど、すでに柚月が待ってるから心配しなくてもいいよ」


 トリコさんの部屋に行くことに対して、何も考えていなかった自分に気づく。確かに男性とふたりきりは……でもやっぱりトリコさんはトリコさんなので心配することなんて何もなかった。とはいえ先に柚月さんがいてくれれば緊張することもないし、トリコさんの気遣いが感じられた。


 トリコさんの部屋は真ん中に白い丸いテーブルが置いてあった。赤いカーペットの上に座った柚月にさんが私を迎えてくれた。


「那津〜、久しぶり。聞いたわよ。芹沢からラブレターもらったって?」


 柚月さんは明るい声で話しだした。


「ラブレターではないです。歌いたいなら力を貸すって言われただけです」


「なるほどね〜、それで音弥とカイが那津を渡したくなくて思わせぶりな態度をとったのね」


 先日の出来事はトリコさんが柚月さんにすべて説明してくれているようだ。


「そう。そこまでして那津の気持ちを確かめてから、那津にふたりで会うのをやめにしようって言うなんてバカげてるから、俺がカイに説教してやろうと思って」


 そう言いながら、トリコさんがカバンからペットボトルを3本取り出しながら柚月さんの近くに座った。


「トリコさん、これって某カフェ限定のブレンド紅茶じゃない。店舗じゃないと売ってないのに」


「那津を迎えに行く前に行ってきた。柚月が飲みたがってたから」


「ありがとー。トリコさん大好き」


 柚月さんがトリコさんに抱きついた。


「こんなときだけ大好きって…だいたい今は俺は、男だって言ったのに全く男扱いしてないな」


 トリコさんに対して普段と変わらない接し方をする柚月さんを見ていると、ほっとした。

 柚月さんは、トリコさんからすぐに離れた。


「でも、トリコさんの男性バージョンって、キレイ過ぎるんだよね…。ナチュラルメイクしてるし、普段からケアしてるからそもそも肌がキレイだし、なんか悔しいわ」


「それは、ありがと」


「でもキレイすぎてモテないパターンよね。表面的にキレイだから観賞用で寄ってくるだけで、誰も付き合いたいとか思わないわよ。自分より美人な男と付き合うってハードル高すぎだから」


「褒めてるの?貶してるの?」


「褒めてるけど、悔しいの。あ、那津も座って座って」


 柚月さんとトリコさんが少しずつずれて、真ん中に私を座らせてくれた。

 私も持ってきた焼き菓子のバスケットを出した。


「ありがとう。このお店、那津の家の近くにあったわよね?可愛いバスケットね。中身も美味しそう」


「紅茶にぴったりね。ありがとう」


 ふたりとも喜んでくれたようだ。


「私も持ってきたのよ」


 柚月さんが机に、中身がたくさん入ったコンビニの袋を置いた。


「スナック菓子よ!さきいかとか、煎餅もあるよ。トリコさんや那津が何かを持ってくるとしたらオシャレな甘いものだと思って。かぶらなさそうなものにしたの」


「すごい!当たりでしたね。私は甘いものしか浮かんでなかったです。しょっぱいもの、食べたくなりますよね」


「こんなに気遣いできる柚月も、カイのせいで苦労させられたな」


 ため息をつきながらトリコさんが話し始めた。


「柚月は本部に勤めてた頃に、カイを好きな子たちから嫌がらせを受けてたんだよね。原因はカイが他の子達にはっきりした態度をとらないまま、柚月を研究所に誘うために何度も会いに行ったから。きっと柚月が特別扱い受けてると思って嫉妬したんだろうね」


 その話は少し前にちらっと聞いた気がする。私は、柚月さんを見た。


「たぶんね。夢魔の話は機密事項だから、話すときはだいたい会議室でふたりでこそこそ話してたから、勘違いされたんだと思う。カイが彼女たちの気持ちに気づいてたのに、はぐらかすからいけないのよ。付き合えないなら付き合えないってはっきり言えばよかったのに…まぁ、耐えるしかなかった私も私だけど。新人だったからね」


 柚月さんは私に向かって優しく微笑んだ。

 嫌がらせはありえないけど、嫉妬してしまう気持ちはわかる気がする。柚月さんは美人だけど優しくてスタイルもいいし、カイさんの隣に立つとモデルさんみたいでお似合いだと思う。


 トリコさんも柚月さんも私のカイさんへの気持ちを知った上で、応援すると言ってくれた。私達はおやつを食べながらたくさんの話をした。

 今日、ここに来てよかったな。少し、元気になれた気がした。そして、ちょっとだけカイさんに会いたくなった。








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