ついにコンテストが始まった。さっきまでカイさんと音弥さんの周りにいた人達もお目当てのバンドを見るために前方へ行ってしまった。
次々と個性的なバンドが演奏していく。バンドが入れ替わる際に、多くの人が感想を語ったり、場所を変えたりして、会場がざわざわするので、その時に桃香に声をかけた。
「駿太と春斗はいつ出るの?」
「聞いてないの?コンテストの参加者の演奏が終わって、結果発表の前に登場するらしいよ」
「じゃぁ、駿太くんと春斗くんは最後だね。前で見たら?」
桃香の返事に、後ろにいた音弥さんが反応した。振り返って音弥さんを見ると、優しく笑った。金の髪が揺れた。
「いいです。ここで。遠くてもふたりの音はわかりますから。それより、カイさんと音弥さんがここに来た本当の理由ってなんですか?私達の付き添いだけではない気がして…目当てのバンドとかあるんですか?」
柚月さんが私を見つけてくれたように、他の歌い手を探しているのではないだろうか。研究所は常に歌える人が足りない状況なので、あり得る話だと思った。でも、もしも私よりもカイさんの声と相性のいい人が現れたら、私はどうなるんだろう……。
「目当てのバンドか……」
音弥さんがカイさんと目を合わせた。
「あるといえばあるけど……」
音弥さんが答えた。煮えきらない返事だ。私には言えないことだろうか。
「カイさんと音弥さんが目をつけたバンドなら、私もしっかり聴きたいです」
知りたい。ふたりが興味あるバンドなら。だけどやはり少し胸がざわつく。小さな隙間風が通り抜けるような感じがした。
「俺はどのバンドにも興味があるし、何よりも芹沢たちが作り上げたコンテストそのものに興味があった」
カイさんが私のすぐ隣に立った。
「まさか、ボーカル……」
言いかけてやめた。桃香に聞かれてはいけない。いや、それよりも、新しい歌い手が見つかったら私はどうなるのかわからないので、怖かった。
カイさんは、ざわざわした会場を見渡している。
「これだけ多くの人がいれば、負の感情は連鎖する。他人の足を引っ張る人間もいるだろう。その中で自分を保って、精一杯の演奏ができるのは素晴らしいことだ。那津もあの頃よりは今の方が歌えると思うよ、俺は」
思ってもいない言葉だった。さっきまでの不安が柔らかく溶けていく感じがした。カイさんが新人を探しに来たのかどうかはわからないから、安心できるわけないのに、なぜだろう。
私のふわふわした感情をよそにコンテストは順調に進んでいって、すべての参加者の演奏が終了した。結果発表の前に、駿太と春斗のバンドが演奏をする。司会者からの紹介があり、バンドのメンバーがステージに上がった。
「駿太も春斗もかっこよくない?」
桃香が言った。
バンドのメンバーは全員黒いシンプルな服を着ていた。派手な挨拶をするわけでもなく、淡々と配置につく。
注目が集まる中、ドラムの音が響いた。存在感のある重たい音のあと、キーボードの速弾きが始まり、駿太のベースと春斗のギターが加わった。インパクト抜群のイントロが急に静かになると、力強い高音の歌声が会場に広がった。遠くからでわからなかったが、女性のボーカリストだ。
柚月さんの声よりも、力強い。男性の声とは違うしなやかさもある。私ではなく、彼女があそこに立っている理由を突きつけられた気がした。このバンドには圧倒的な存在感がある。
会場の雰囲気はガラリと変わった。これは、コンテストに出場したどのバンドよりも、インパクトがある。
彼らの演奏が終わった。会場は完全に飲み込まれていた。
「すごかったねー、あのボーカルの子」
音弥さんがカイさんに話を振った。
「柚月よりも気が強そうだな」
「あと少しだね。もっとバンドが成熟すれば、きっと売れるよ、あの子たち」
隣で聞いていた私は、何も言えなかった。私は、あの場所に立つ権利さえなかった。
演奏が終わったのに、まだバンドのメンバーがステージに残っている。まさか、2曲目があるのかと会場がざわつき始める。
芹沢がステージの端に上がったのが見えた。
「今日は全てのバンドが素晴らしいパフォーマンスをしてくれました。今、審査が難航しておりますので、もう1曲、別のバンドに演奏してもらいましょう。那津、桃香、いたらステージに上がってきて」
芹沢の声は耳に届いたけれど、脳に届かない。今、なんて言ったの?
戸惑う私の前にカイさんが出てきて、右手の手のひらを上に向けて、私に差し出した。
「エスコート」
「どういうことですか?」
「芹沢から、那津にプレゼントだ」
プレゼントって言われても私はステージで歌うことを望んでいないし、桃香だってこんなサプライズをされても困っているはず。
カイさんと反対側の隣にいた桃香を見る。
「じゃぁ、桃香ちゃんは俺がステージまでエスコートするね。どうぞ」
音弥さんが差し出した左手の上に桃香が右手を乗せた。
「いいんですか?」
「ここからステージは遠いし、ひとりで真ん中通ったらもみくちゃにされちゃうからね」
「ありがとうございます。じゃ、那津、ステージで待ってるね」
桃香は笑顔で音弥さんとステージに向かった。その背中を呆然と見ていた。桃香ってばなんでそんなに飲み込みが早いの?パニックなのは私だけ?
「桃香ちゃんは、知ってたよ」
カイさんが言った。知ってたってどういうことですか。声にならない私の表情を察してなのか、カイさんが言葉を続けた。
「芹沢が那津にもステージで歌えるように、ステージ上のメンバーや、スタッフ、桃香ちゃんにも連絡をとったと聞いた。俺は、那津の歌声が広まることは反対だったけど、研究所に就職するにしてもしないにしても、逃げない方が那津のためだと思った。どうする?」
「歌わないと言ったら?」
「那津の代わりに俺が歌う」
「それは、絶対に駄目です」
大きな声が出てしまった。さっきの女の子たちがカイさんの声を聴いたら、どうなってしまうか私にはわかる。それどころか、この会場すべての人が惹かれてしまう。
「カイさんは、自分の声を知らなすぎるんです」
「知っていて言ってるとしたら?」
「意地悪すぎます」
私の言葉を聞いたカイさんは「どうぞ」と言って、私にまた左手を差し出した。私に選択の余地はないらしい。私は、大きな手の上に手を重ねた。なんかもう、歌うしかないみたいだ。覚悟を決めた。
カイさんに連れられて会場の後ろから人と人の間を抜ける。ようやくステージの前に出たとき、芹沢が迎えてくれた。
「カイ、ありがとう。ここから先は俺が」
カイさんが私の手そのまま、芹沢の手に渡した。
「俺がステージに上がるわけにはいかないからな。下で見てる」
ここで、カイさんとはお別れらしい。ステージを見上げると、すでに桃香はスタンバイしている。でも、さっきまで演奏していたキーボードの人も一緒にいる。
「ステージは脇に階段がある。ついてきて」
私は状況を飲み込めないまま、芹沢とステージに上がってしまった。
「あなたが那津?」
さっきのボーカルが話しかけてきた。
「時間がないから端的に説明すると、このボーカルはサキ。君らは二人で、星川那津がコンテストで酷評された歌を歌う。君以外の皆は練習済だから、遠慮なく歌えばいいよ」
「歌えばいいって…まだ私はサキさんと合わせたこともないのに」
サキさんの圧倒的な歌唱力に、私の歌声が合う気がしない。
「那津、あなたはいつも通り歌って。私がハモるなり戦うなり、自由にするから。私はあなたの本気の声は知らないけど、彼らのボーカルなんだから素晴らしいはずよね?」
私よりも年上であろうサキさんは、ショートカットの黒髪で長身だ。カッコよすぎて、すでに負けている気がする。でも、もう逃げられない。
「芹沢…さん、私、歌います」
「それはよかった。今はコンテストの合間の休憩みたいなものだから、お客さんはトイレ休憩行ったりしてるし、気楽に歌えばいい。サキ、任せたよ」
「わかりました」
私はマイクを受け取った。バンドのみんなに軽く挨拶をした。話したいことはたくさんあったけど、時間がないらしいのですぐに演奏が始まった。
私はあの曲を、精一杯歌おう。
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