「夢魔が、なっちゃんの家を中心に約半径2キロの円を描くように移動している」
音弥さんの声だ。
「弱体化させて追い払ったのに。しぶとい奴ね」
柚月さんが立ち上がって、外を見た。
「しぶといというか、その場所への執着を感じる。これは先に夢主を探しださなきゃ解決しないタイプの夢魔かもしれない」
「わかったわ。音弥は夢魔の監視をお願い。私はこの周辺の土地を探ってみるわ」
柚月さんが振り返った。
張り詰めた空気に背筋が伸びる。
「那津、紙とペンを貸してもらえないかしら」
柚月さんは丸テーブルの前に座った。ノートとペンを渡して、私も横に座った。
「夢魔が半径2キロの円を描いているとすると、円周になにか共通点があるかもしれないわ」
柚月さんが腕時計型タブレットから出した地図をノートに映し出した。
必要な情報だけをノートに書き込んでいく。
私は邪魔しないようにそっと見守った。
しかし、夢魔が執着するような何かがこの土地にあるとは思えない。この辺りは昔からずっと、畑が広がっていたと聞いたことがある。最近は、住宅街もできて賑やかになった。それでも、中心と言われた私の家も、我が家が建つ前は何もなかったはず。
「円周に神社や小学校はあるけど……共通点はなさそうね。円の内側にも小学校や神社はあるし」
「そうですね。ここから西の円の内側にあるのが私の通っていた小学校です。この円周上にある東の小学校は中学でも学区が違うのでよく知りませんが」
「那津の高校は、どこ?」
「高校は駅から電車に乗るので、この小学校よりも更に東の方に10キロくらい先です」
「うーん、特に学校に恨みを持っているわけでもないか」
柚月がボールペンをカチカチとノックする。
夢魔は単純に暴れているわけではないようだ。だとすれば、夢魔はこの地に災害をもたらそうとしているのだろうか。
「あのー、夢魔が災害を起こす土地は、夢主の憎しみや恨みの対象の場所だけなんですか?」
「災害を起こすほどの力を持った夢魔は、夢主の感情を上回る自我が生まれていると考えられるわ。だから、広範囲で災害を起こそうとする。つまり、夢主の記憶とは関係なくなる」
「今は、あの夢魔はまだ夢主の感情で動いているんですよね?」
「そう考えられるわね」
柚月さんが大きく息を吐いた。
強い負の感情に囚われた夢主は、自分の知らぬ間に自分が生み出した夢魔で災害を起こしてしまう。例え夢主がその事実を一生知らされることがないとしても、悲しみを上積みさせるわけにはいかない。
柚月さんはさっき夢魔の浄化を、夢主を助けるためにしているわけじゃないって言ってたけど、結果的に夢主は柚月さんたちに救われている。
私はさっき、柚月さんのことを冷たいと思ったことを反省した。
確かに夢魔や夢主に寄り添うことはしないかもしれないけど、同情だけでは誰も救えない。だから、こんなに一生懸命なんだと思う。
それなら、私は私のやり方で誰かの役に立ちたい。
「柚月さん、私も特殊気象研究所で働きたいです」
自分の思いが、喉の奥からすっと出てきた。
柚月さんは頷いた。
「よし。カイ、音弥、聞いてた?」
え?驚いて柚月さんを見た。
「この通信機、通信をオフにしない限りずっと聞こえてるの」
「じゃぁ、さっきの通信が入る前とか後にピーって音が入ってたのは?」
「聞き逃さないで欲しい大事な要件の前や会話の中断時にわかりやすく入れているだけよ。音がなくても時々会話してたでしょ?」
柚月さんがいたずらっぽく笑った。
言われて見ればそんな気もする……ような。
「とりあえず、事務所見学だな」
音弥さんの声が聞こえた。
「あぁ」
短い返事はカイさんだろう。
カイさんの声で首にかけたストールの存在を思い出した。
これ、返さなきゃ。
「あの、カイさんから借りたストール──」
言いかけたら、柚月さんが笑った。
「もらっちゃえば?カイもそのつもりで渡したんでしょ」
急にピーと鳴った。
「カイの奴、通信切ったな」
「逃げたわね」
やりとりを聞いていたら思わず笑顔になれた。私も仲間として認めてもらえる日が来るといいな。
「さて、夢魔もまだ動いてるから、調査を頼むよ」
「了解」
急展開だったけど、見学は許されたらしい。少しホッとした。
「さて、那津、そうと決まれば明日、事務所に泊まりにくるといいわ。なりゆきとはいえ、この夢魔にはあなたも関わったんだし、研修ってことで」
明日は金曜日だ。
「じゃぁ私はこの辺を見て回ってから帰るから、那津は、そのストールをお守り代わりに眠るといいわ」
柚月さんは窓を開け、腰かけた。そして流れるようにスティックを伸ばし、上に立つと飛んでいった。
そういえば、事務所の場所ってカイさんの名刺でしか知らないけど……どうしよう。まぁ、なんとかなるか。
夢魔が発生して大変なはずなのに、少しだけ心が軽くなっているのに気づいた。
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