「わかりました。もしも芹沢の中の…」
嫉妬という負の感情に夢魔が入り込んだのだとしたら──と言いかけてやめた。
駿太の夢魔を浄化するときに柚月さんが歌っていた歌を私が歌ってみればわかるかもしれない。
「あの、カイさんと歌う前に、私がひとりで歌ってもいいですか」
駿太の夢魔のときは私には力がなかったけど、今なら力になれるかもしれない。
「構わない。ただ、芹沢にひとりで近づくのは危険だ」
「それなら、トリコさんと行きます」
トリコさんは自分が男性であり女性だって言ってたけど、たぶん私は嫉妬の対象ではないだろう。芹沢はカイさんと私が一緒にいることも気にいらないみたいだったし、音弥さんは怪我が完治していないし、選択肢はひとつだ。
カイさんが自分のフードを脱いだ。そして、そのまま私の被っていたフードを外した。
何故フードを外されたのかわからないまま、カイさんと目が合う。
少し風が弱まっている。
「那津、気をつけろよ。トリコさん、頼む」
「任せなさい」
トリコさんは、ボードに一緒に私を乗せて飛び立った。
風でバランスを崩しながらも、芹沢に近づいていく。
振り返ると、砂浜から私達を見上げるカイさんと音弥さんが見える。
私は以前聴いた柚月さんの歌を頭の中で繰り返す。芹沢を救うって決めた。私が見ていた芹沢は最初から夢魔に操られていたかもしれない。だから、本当の芹沢と話してみたい。
芹沢を救えたら、トリコさんやカイさんもきっと心が軽くなる。
「那津、これ以上は近づけないわよ。それに一箇所に留まることができないわ」
「大丈夫です。歌ってみます」
たとえ愛が届かなくても 挫けても
道はどこまでも続いていく
いつか光で包まれる時まで
私は嫉妬に包まれて夢魔を生み出してしまうほどの苦しい恋はしたことがない。だけど、今なら少しだけわかる。私の初恋はカイさんの声だけど、カイさんと過ごすうちに、声だけじゃないカイさんの魅力に気づいてしまった。もしもカイさんが、たったひとりの女性のためだけに歌を歌うのなら、考えただけで胸が苦しくなる。
芹沢は、トリコさんを自分のものにしようと思ったんじゃなくて、自分の気持ちを抑えて、抑えすぎて、辛くなったんじゃないだろうか。だったらその気持ちを認めてあげればいい。
芹沢の周りの黒い夢魔たちが、だんだんとほどけていく。煙のように色が薄まり、ふわふわと芹沢から離れた。
「那津、上出来よ。ここから先は私に任せなさい」
トリコさんはベルトに挿していたスティックを延して、飛び乗った。
「カイのところへ戻りなさい」
トリコさんは芹沢に向かって一直線に飛んでいく。
その時、突風が吹いた。私はボードにしがみついたけれど、吹き飛ばされてくるくると回りながら落ちていく。
このまま落下すれば海の上。
その時、勢いよく飛んできた誰かに抱えられた気がした。
「確かにもう私は側にいられない。愛は届かない。だけど、あの人に伝えて。もう苦しまないでって」
声だったのか、幻聴だったのかわからない。脳内に鮮明に残った言葉とともに、私は砂浜にゆっくりと降ろされた。
けれど、傍らには誰もいない。
まさか、あれは夢魔の声……だとしたら私は夢魔に救われたことになる。
「大丈夫か?」
カイさんが走ってきた。
「はい、なんとか」
手を借りて、立ち上がった。
カイさんが空を見上げた。目線の先に飛んでいく人影が見えた。どうやら、私の変わりに音弥さんがトリコさんの援護に飛んでいったようだ。
「今、黒い夢魔に抱えられて降りてきたように見えたけど」
「助けてくれたんだと思いました」
それに、もう苦しまないでって伝えてと言われた気がする。あの人って誰だろう。いや、その前に気になることがある。
「カイさん、夢魔って話せるんですか?」
「夢魔に声はないと思う。少なくとも俺は聞いたことがない」
カイさんは表情のない声で答えた。
と、いうことは幻聴なのかもしれない。でも、はっきりと聞こえた。
「那津に夢魔の感情が流れ込んできて、それを那津が言葉として受け取ったなら、考えられなくはない。なにか聞いたのか?」
さっきよりも風が弱まっている。
「はい。側にいられないけど、もう苦しまないでって伝えてほしいって言われました。もしもこの言葉を伝えられたら夢魔は還れるんでしょうか」
「那津、黒い夢魔は亡くなった人間の残した気持ちだ。本人はもうこの世にはいない。深入りすれば那津の心を乗っ取られる。一旦、忘れることだ」
「それって、芹沢にも言えることですよね?」
芹沢がやけに夢魔の肩を持っていたのも、心を乗っ取られたからかもしれない。
「トリコさんの言っていたことが、正しかったってことか」
カイさんは黙ってしまった。そして少し間をおいてから、話し始めた。
「やはり、芹沢は夢魔に操られていると考えた方が自然だな」
波の音がさっきよりも大きく聞こえる。
カイさんが腕の通信機をオンにした。
「芹沢の中に夢魔がいる可能性がある。俺と那津が歌うから、音弥が月の光で夢魔を引っ張りだせ。そいつが夢魔ならスティックで浄化できる。黒い夢魔ならスティックで核を貫けば消える」
「待てよ、カイ。月の光は最後の手段だ。前に集めた光がかろうじてあるだけで、今から月が出る可能性はないから、チャンスは一度だぞ」
芹沢の中に夢魔がいなければ、私達は月の光を失うだけで、何も残らない。
「やらなければ、那津が危ない」
どうして私が危ないのかわからず、カイさんを見た。
「那津は、もう夢魔にひっぱられてる」
「まさか」
音弥さんの声が響いた。
「夢魔の声を聞けるほどに夢魔と波長が合ってきてる」
「わかった。カイ、なっちゃんを離すなよ」
「わかってる」
ゆっくりと血の気が引いていくのがわかった。
私が芹沢を救おうと思ったこと自体が、すでに夢魔の手中だったってことだ。あれほど、皆から夢魔に心を寄せすぎるなって言われたのに。
下を向いて砂で汚れた靴を見つめた。
音弥さんとの会話が終わったカイさんが、私の真ん前に立った。視界にカイさんの靴が見える。
顔が上げられなくなる。私は何をしにきたんだろう。心がざわざわする。
カイさんが突然、私の左手をとった。
「これから歌う。那津も、俺が夢魔に引っ張られないようにしっかり捕まえてて」
そういうと、カイさんの右手と私の左手は自然に結ばれた。大きな手が、安心する。少し鼓動が早くなって顔を上げた。
「芹沢に向かって歌う。だけど、ずっと俺や研究所の人間、那津の友達や家族で心の中を埋めておけ。手は離すなよ」
私はうなずくことしかできなかった。
歌わなければ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!