土曜日の夕方。研究所のリビングに人が集まり始めた。
「まず、那津にフィルさんと凛の紹介をするわね。ふたりは研究所の機器の製造や修理をしてくれているわ」
柚月さんの隣に座っている女の子がこちらを向いた。ショートボブで、目がぱっちりした小柄のかわいい人だ。
「この子が凛、那津とは同じ歳になるかしら」
柚月さんに促されて、挨拶を交わす。同じ歳ですでに研究所の職員ということは……高校には通っていないのだろうか。
じっと見られている気がするが、どう会話をすればいいのか、わからず挨拶しかできなかった。
「あちらがフィルさん」
フィルさんはダイニングの椅子に座ったまま、こちらに向かって手を上げた。
第一印象は、がっしりとした体格の、優しそうなおじさんだった。少し薄い金髪で彫りの深い顔は、ひと目で外国の出身だとわかった。
「フィルさんは、カイが学生時代に外国で知り合った大学の教授。今は、カイと同じく日本の大学の客員教授をしているわ」
柚月さんが補足した。
カイさんは飛び級制度で大学を卒業した経験があるから、教授さんとも仲良くなれたのか……あれ?今、柚月さん、カイさんと同じ客員教授って言わなかった?聞き間違いかな。
「ふたりは一応朝から夕方までの仕事だから、いつもこの時間に会って話すようにしているの。ちなみに、この研究所の二階のフロアが彼らの仕事場よ」
ふたりは夢魔と直接関わらないので、夜に仕事はしないらしい。挨拶が終わるとふたりとも、部屋から出ていった。
私の横に柚月さんが、向かいのソファーには音弥さんとカイさんが座った。
トリコさんは見当たらない。トリコさんは勤務時間も特殊なのかもしれない。
「それで、結局昨日の夢魔は、どうなったの?」
言いながら、柚月さんがタブレットを開く。
「あれから感知計は反応していないから、おそらく夢魔は夢主の元に帰ったはずだ」
カイさんが答えた。
「あとは、なっちゃんのお友達の彼がうまく感情を処理できれば、解決っと」
音弥さんは大きく伸びをして、ソファーに持たれかかった。それを見て柚月さんがカイさんに話題を振った。
「カイは、彼がうまく処理……できると思う?」
「わからないな」
「それは困ったわね」
またあの夢魔が出てきてしまうかもしれないということか。それほどまでに駿太の悩みが深かったなんて、全く気づいていなかった。
でも、夢魔と戦っているとき、夢魔の矛先はカイさんと音弥さんだと言っていた。どういうことだろう。
寝る前に柚月さんが、カイさんと音弥さんは、あの夢魔のなにかに気づいていたって話をしていた。ということは、カイさんは全てを理解した上で、駿太が負の感情を処理できるかわからないと結論づけたのだ。
「なぜ昨日の夢魔は、カイさんと音弥さんに負の感情の矛先を向けたんですか?」
一瞬、時間が止まったかと思うような空気が流れた。
私は、口を出すべきじゃなかったかもしれない。でも、駿太の悩みが知りたい。
「なっちゃんは、彼の近くにいて、何も気づかなかった?」
音弥さんの質問には首を横に振るしかなかった。
「じゃぁさ、夢魔がなっちゃんの家の近くに現れたり、カイの車を追いかけたり、研究所まで来たのは、なんだと思う?」
夢魔が私の家に現れたときには、音弥さんもカイさんもいなかったのだから、ふたりを狙っていたとしたら説明がつかない。
「柚月もカイも言いにくそうだから、俺が言うよ。夢魔は、俺とカイが邪魔だっただけで、最初から狙いは──」
「音弥。後は俺が話す」
カイさんが、音弥さんの言葉を制した。
「じゃぁ、俺は外に行ってこよっかな〜。なっちゃんと仕事の条件とかも、まだしっかり話してないんでしょ?今の時間に話しておけよ〜」
音弥さんが席を立った。
「悪いな」
「私も出かけるわ〜。まだ夢魔が出る時間じゃないし。じゃぁね、那津。またあとで」
柚月さんが立ち上がると、音弥さんが追いかけた。
「一緒に行かない?俺、暇だし」
「いや、邪魔」
「冷たいなぁ。トリコさんなら、喜んで連れてってくれるぜ?」
「トリコさんは荷物持ちが欲しいだけよ。私は、いらないの」
バタバタとふたりが出ていった。
急に静かになって、カイさんが口を開いた。
「音弥の話の続きだが、夢魔の狙いは、音弥でも俺でもない。那津だ」
──私?
カイさんは私とは目を合わせず、机の上に置かれたままのタブレットに視線を落としている。
「なんで、私なんですか?」
駿太は私が原因で苦しんでいたのか。それとも私を憎むような出来事があったのか。
でも私の歌が酷評された後も、駿太は私を慰めてくれた。悪い感情を持たれているようには感じなかった。
でも、もしかしたら、私が原因でコンテストを勝ち上がれなかったことに怒っていたのかもしれない。それなら、あり得ない話ではない。
困惑する私に、カイさんは静かに言った。
「夢魔は、那津を手に入れたかった。と言えばわかるか?」
私を手に入れたい?
思考が停止する。意味がわからない。
カイさんは顔を上げて私を見ると、話を続けた。
「夢魔は、那津の近くにいたかった彼の気持ちから生まれたものだ。だから、俺や音弥が邪魔だった。あの夢魔は、彼の嫉妬心から大きくなったと言える」
そんなはずはない。私達は仲間で、確かにずっと一緒にいたけど、バンドの活動休止だって、以前から話していたことだし。
なぜ、そんな結論が出るのだろう。
「わからないです」
私の答えに、カイさんが小さくため息をついた。
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