カイさんと私が研究所のリビングに戻ると、音弥さんがダイニングテーブルに置かれたパソコンとにらめっこしているのが見えた。
音弥さんは椅子に座ったまま、動かない。
「難しい顔をしてどうした?」
カイさんは躊躇なく音弥さんに近づいて、横からパソコンを覗き込んだ。
「花村さんのパソコンに、なぜか那津の学校のメールアドレスが保存されていたらしい。トリコさんから証拠写真が送られてきた」
音弥さんが言った。ふたりとも画面を見ながら厳しい顔をしている。
「花村さんが帰った後で調べたのか?」
カイさんがパソコンの画面を指差した。
「そうだろうな」
「花村さんが那津の学校のメールアドレスを持っているということは……那津を退学させるために怪メールを送った犯人ってことか?」
カイさんは、学校宛に送られてきた私への根拠のない嫌がらせメールを覚えてくれていた。
──いや、音弥さんが派手な格好で私に会いにきたのが原因だから、根拠が全くないわけではないのか──。
私の胸の内なんて関係なく、ふたりの会話は進んでいく。
「トリコさんによると、さすがにメール本文までは発見できなかったらしい。削除されてる可能性もあるけど。ただ、那津の学校なんて本社の人間は知らないはずだよな?」
「そうだな…うちの会社の人事は研究所でやるからな」
カイさんは少し黙ったあと、顔をあげて私を見た。
「芹沢は那津の学校を知ってたのか?」
「はい。芹沢は、私が出たコンテストの運営側の人間だって言ってました。だから、エントリーシートに書いた高校名を見ていた可能性はあります」
それに、今思い出したけど、学校帰りに芹沢に会ったことがある。私は制服を着ていたし、芹沢は明らかに私に会いにきたみたいだったから、学校は知っていたに違いない。
私が制服姿の時に芹沢に会ったことを伝えると、カイさんは頷いて、音弥さんと顔を合わせた。
「芹沢と花村さんが繋がっていて、怪メールを画策したとすれば辻褄は合うな」
「花村さんも、カイの周りから女を遠ざけたかったわけだし、芹沢はなっちゃんがカイの側につくのを避けたかったわけだから…有り得る話だね」
音弥さんが答えた。
私はリビングに突っ立ったまま、少し離れてふたりを見ていた。
「もしかして芹沢は、カイさんの声と響き合う声の持ち主をコンテストで探していたんですか?」
研究所の人達の先回りをして、カイさんに近づけないようにしようとしていたとしたら……なんて考え過ぎかな。
「まさか」
音弥さんが答えたのとほぼ同時にカイさんの顔つきが変わった。
「審査員に那津の歌をわざと酷評させたんだとしたら、那津の言うことも一理ある」
カイさんが腕を組む。
「なんのために?」
音弥さんがカイさんを見上げた。
「もちろん、国内の大きなコンテストで優勝すれば那津の声が有名になる可能性がある。そうすれば俺たちが那津の声に気づく。だから、優勝させないために」
カイさんは、パソコンの画面を見たまま答えた。
「俺はコンテストを見たわけじゃないからなんとも言えないけど、本来の評価に関係なく、もう歌いたくないと思わせるために酷評させた可能性もあるってことか。でも、そうだとしたら、審査員まで操るって、あいつ何者なの?」
「昔から、人を惹きつける魅力はあるからな。それに黒い夢魔の感情さえ操れる人間だ」
この仮説が合っていれば、私の声が酷評されたところから芹沢に仕組まれていたということになる。けれどなぜか悔しい気持ちは湧いてこなかった。
「ま、メールなんていくらでも捨てアド使えるし偽装はできるから、花村さんを問い詰めても無駄だろうね。カイくん、どうすんの?」
音弥さんがわざとらしくカイさんの名前を口にしたが、カイさんは気にしていないようだった。
「とりあえず花村さんに責任を問えるほどの証拠はないから、彼女のことは芹沢と台風をどうにかしてから考えよう」
私にとっては青天の霹靂のような話だったけれど、今更コンテストの結果が覆るわけでもないし、私の実力がまだまだだったことも、わかっている。
「なっちゃんは、巻き込まれた被害者だったってことになるかもしれないけど、大丈夫?」
音弥さんが私を見た。
私はふたりに近づいた。
「コンテストのことは、もういいです。研究所に来てから、確かに私の歌に足りない部分があったことは受け止めてます」
コンテストでの酷評が、今の私に繋がっているなら、悪いことばかりじゃない。なにより、研究所の人たちに出会えたんだから。
「那津の声は誰よりも俺が評価している。だからといって、那津をプロにしてやる力はないけど」
カイさんの口角が上がった。
カイさんの口から、そんなことが聞けるなんて。今の私はコンテストの結果よりも、カイさんの言葉の方が何倍も嬉しい。
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