私は、車の助手席に乗り込んだ。ほんのりとアロマの香りがする。カイさんからもらったストールと同じ香りだ。
考えてみたら、私はお父さん以外の大人の男性の運転する車なんて乗ったこともないし、ましてやふたりきりなんて経験がない。こんな状況で、相手がカイさんとか、レベル高すぎない?攻略の仕方が謎すぎて、これから車内でどうしたらいいの、私は。
カイさんが運転席に座り、車が動き出す。
平静を装って、外の景色を眺める。だけど、ずっと外を見ているのは失礼すぎる。
「研究所って、山の方でしたよね?」
なんとか会話を試みる。ただ、話したら邪魔になるのか、話した方がいいのかわからない。音弥さんとふたりのときはこんなに緊張しなかったのに。カイさんが所長だから、その肩書に緊張しているのだろうか。
「研究所は森を抜けた小高い丘の上にある。ここから、高速に乗っても、車で2時間以上かかるな」
運転しながらカイさんが答えた。時計はもうすぐ午後7時になる。
車で2時間以上かかるとなると、研究所に着く頃には9時を過ぎてしまう。
「まさか、昨日も、その前もそんなに時間をかけてここまで来てたんですか?」
夢魔の浄化のためとはいえ、大変だ。
「いや、空から行くと20分くらいかな。渋滞もないし、直線で飛べるから」
「あ、あのスティックで?」
「そう。長距離飛ぶのはもっと幅が広くて座れるやつ。サーフボードみたいなものがある」
そうなんだ。知れば知るほど不思議だな。
「那津、お腹減ってない?」
「大丈夫です」
というか、緊張で食べものが食べられる状況ではない。
「それなら、よかった。研究所に着いてから夕食にしよう」
「はい」
どんどんと見慣れた景色から離れていく。
高速道路の入口に入っていく。
私は沈黙が怖くて、会話を探す。
「あ、そういえば昨日の大判のストールなんですけど」
柚月さんは貰っちゃえばいいとか言ってたけど、カイさんの返事はもらっていなかった。
「あれは那津にあげたものだから、いらなかったら捨ててもいい」
「いります!!」
びっくりするほどの声が出てしまった。顔が赤くなるのがわかる。恥ずかしい。
カイさんが笑った。
「そんな大したものじゃないよ」
「でも、いい香りがしてました」
何を言っているのかコントロールが利かなくなっている気がする。
ますます顔が赤くなる。
「ベルガモットとラベンダーのオイルの香りを少しだけ纏わせた。感情が乱れると夢魔に狙われるから、夢魔避けに役立つかと思って、落ち着ける香りをね。」
そういうことか。
「この車の香りも同じですよね?」
「俺がこの香りが好きだから」
カイさんの口から『好き』という単語が出てきたのに驚いた。そういうこと、他人に教えなさそうなのに、と思った。
でも、さっきからずっと質問にはちゃんと答えてくれている。
突然、車内に電子音が響いた。
カイさんへの電話だった。
「はい」
スマホはワイヤレススピーカーに繋がっていて、カイさんがボタンを押すとすぐに通話が始まった。
「カイ、あんた通信機の電源いれておきなさいよ!」
柚月さんが怒っている。
「悪い。忘れてた」
「はぁ。まったく。しっかりしてよね。ってそうじゃなくて、今、高速乗ってるのよね?」
「GPSは切ってないから、場所は柚月が確認した場所で間違いない。高速に乗ってる。何かあったのか?」
「夢魔が現れたの……」
柚月さんが言いかけて、一瞬黙った。
「那津は、カイの隣に乗ってるのよね?」
「そうだ。柚月、大丈夫だ。何があったか話せ」
「夢魔を感知してから、動向を探ってるけど、どうやらカイの車を追いかけてる」
「わかった。次のインターで下りて、山側に走る。こっちは俺がなんとかするから、柚月と音弥は他の夢魔が発生したら対処を頼む」
「たぶん、カイを追っているのは昨日の夢魔だわ。十分に気をつけて。」
「わかった。なにかあったらまた連絡を頼む」
電話は切れた。
少し、大変なことが起こりそうだ。
「那津、さっき話していたストールはあるか?」
「鞄の中に」
私は膝に乗せた鞄の中から、ストールを出して見せた。
「それを被れ。俺は今から人のいない場所に車を移動して、夢魔を浄化する」
カイさんはハンドルを握ったまま、冷静に話す。私はじっとカイさんの言葉を聞いていた。
「今から言うことは必ず守ってもらう。約束だ。まず、何があっても車外に出ないこと。声を出さないこと。それから、俺を信じること」
カイさんを、信じる……?こっちが勝手に不安になることはあっても、疑ったことはない。
「はい」
ゆっくりと頷いた。
「那津は必ず守るから、心配しなくていい」
カイさんの声が優しく響いた。
不思議と安心できる声だった。
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